2019年3月5日火曜日

六番:見晴の滝の幻

空が広い。家々の屋根の海原は新幹線の高架で分断されているものの、その向こう側にも荒川とその先に続く平地が広がっている。

本郷台地の丘の縁、標高23mのこの場所には明治期まで見晴台があったという。その頃は眼下に見渡すかぎりの水田風景が広がり、遥か先には北関東の山々が見えたのだろう。さらに7000年ほど遡れば、そこには海が広がっていて、崖下には波が打ち寄せていたはずだ。見晴台にふさわしい場所だ。
 そして、この見晴台の下方の崖にはかつて滝がかかっていた。王子七滝の中でも最も北にあった「見晴の滝」だ。水量はかなりあり、崖下は滝壺のような池になっていたともいう。周囲は木が茂って鬱蒼としていたようだ。
 明治後期には神田区連雀町で代々乾物問屋を営んでいた小栗長兵衛が、崖を挟んだ台地の上下3000坪を買いとり、別荘とした。鬱蒼とした木々に囲まれた滝は私有地に取り込まれて知る人は少なくなり、いつのまにかなくなっていたようだ。明治から大正期の地形図には確かに、木々に囲まれた屋敷らしき区画が見える。ただ、滝はともかく池もそこには描かれておらず、その実態はわからない。
 出典:東京時層地図より大正期の1万分の1地形図

 ここまで訪れてきた本郷台地の湧水はいずれも標高11m前後に湧く。水を通しやすい本郷層と水を通しにくい東京層の境目がその高さにあるからのようだ。見晴の滝も、台地の上から落ちていればさぞ壮観だっただろうが、おそらく他の湧水と同じく、この地層の境目、11m前後から落ちていたのだろう。崖の下にはいったん12m前後の高さに中段があって、今は家々が密集している。そしてそこから一段降りた低地は標高5〜7mほど。なので、滝の落差は5mといったところだろう。名主の滝の男滝が落差8mであることを考えるとそれでも十分に思える。
 現在、崖線の大部分は擁壁に覆われ、直下には住宅が密集する。滝の姿はもはや望むべくもないが、せめてどこかに名残の水なぞ湧いていないものか。望みのほとんどない探索に、崖を下る。見晴台跡から台地を下る芝坂は古くからある急峻な坂だ。その名の由来は定かではない。


 崖線を下り切る手前の病院の裏庭の崖には、まるで名主の滝公園にあったような滝のような石組みが見える。水の気配はないが、見晴の滝となんらかの関係があるのだろうか。坂を下ると向かいには再び崖を登る階段が現れる。V字型に向かい合う、行ってこいの珍しい坂だ。

 崖下を回り込んで、滝があったと伝えられる地番の正面の路地に出る。背後の上方に見える崖の上が、先ほどいた見晴台跡だ。標高11m前後から滝が落ちていたとすると、一段高くなった所に並ぶ家々の、奥の方となる。そして手前の低いあたりにきっと池があったのだろう。

 路地に入って、中段に上がる階段を登る。崖下を崖線に並行する路地が通っている。家々はぎゅうぎゅうに密集していて、奥に入り込む路地はどこもどこかの家の玄関へと続く私道で、崖下には近づけない。そして、やはりどこにも水が湧いている気配はない。


諦めかけて中段への階段を下ると、その傍にきらりと光る水があった。中段と低地の境目の擁壁下に細い溝があって水が流れている。

 そしてよく見れば、擁壁に空いた水抜きの穴から、ちょろちょろと水が流れ出しているではないか。
 湧き出す穴の標高は8mほどだろうか。滝があったと思われる標高よりは低いものの、この水も世が世なら滝の流れに加わり、滝壺の池に注いでいたのではないか。
 引き返して振り返る。黄色い看板の下が水が湧く場所だ。標高11mから滝が流れ出す姿を幻視した。


近くには崖に突き当たる路地がいくつかあって、注意深く見て回ってみると、他にも水が見える箇所があった。
 階段脇の大谷石の擁壁の下、草むらに隠れて細い溝とそこを流れる水がちらっと見えた。近づける場所ではなく、どこから湧き出しているのかはわからないが、水面がかすかに揺れ、水に動きがあることを示している。

滝は無くなってしまったが、地下水脈は辛うじて生きながらえているようだ。ここまで見てきた湧水の中でもっとも地味ではあるけれども、他の湧水と同様に、それは土地の来歴を示す生き証人である。


住所:北区岸町
水量:わずか
用途:なし
立地:本郷台地
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水系:石神井用水上郷用水
東京都湧水台帳コード:なし
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工






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