2019年6月29日土曜日

二十六番:志村の湧水群(1)空き地の自噴湧水井

 板橋区志村。武蔵野台地北東部の成増台(※)とその下に広がる荒川低地に跨っていて、真ん中を崖線が横切る。かつては「志」村という村で、つまり地名は「志」だった。1889年には近隣の小豆沢村、本蓮沼村、前野村、中台村、西台村、上蓮沼村、根葉村を合併、広範囲にわたる村だった。
 その立地から水の豊かな土地として知られており、中でも中山道沿いの薬師の泉、出井川の水源であった見次の泉、出井の泉はあわせて「志村三濫泉」とも呼ばれたという。現在では薬師の泉、出井の泉は公園として整備されているもののほぼ枯渇、見次公園となっている見次の泉のみが池に注ぐ湧水が残っている。

 ※本郷台(赤羽台)と成増台が移行していく地域にあたり、出井川の谷(下の地図参照)を境に志村エリアは本郷台に分類されることが多いようだが、東京都の湧水台帳では成増台に分類しているので、ここではそれに倣う。
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

こうして都市化によってかつてに比べ湧水は減ったが、それでも他にも崖線の下を探せば、今でも公園や個人宅の敷地内にいくつか湧水が残っている(上の地図の枠で囲ったエリア)。何年か前、板橋区の調査報告をもとに探し回ってみたのだが、その中でも最もインパクトがあったのが今から紹介する湧水だ。
 台地の崖下、人通りも少なく静かな、低層の住宅がひしめき合う一帯。ぽっかりと開けた、駐車場となっている空き地の片隅から、水音が聞こえる。近づいてみると、地面に不思議な形をしたプラスチックのタンクが設置してあり、そこから驚くほど多量の水が流れ出している。

 その水流は太く、力強く、流れ出すというより噴き出すといったほうがいいかもしれないくらい勢いがある。

 水はバケツに注いでいる。上の写真は2019年2月、こちらは2019年6月の撮影。水量は2月の時の方がやや多そうだ。2007〜8年に板橋区が実施した調査では毎分30リットルもの水が湧き出し、そのときの調査でダントツの1位の水量だったという。

バケツは小さな洗い場に置かれていて、時折新しいものに取り換えられているようだ。溢れた水はその排水口へと流れ込んでいく。

動画でも撮影してみた。


 数年前までは背後の雑草の生える空き地に家が建っており、さらに前は駐車場のところにもアパートがあった。湧水はそれらの裏庭のような場所に位置していてよく見えなかったのだが、周囲が取り壊されたことでその姿は露わになった。かつては取り壊された家も含め、周囲の3軒ほどの家で雑用水として共同利用していたという。板橋区の調査によれは、井戸ではなく崖下から導水してきているらしい。そして大正末期(→終戦直後まであった。追記参照)までは崖下から北に広がる低地は一面の水田となっていて、その水田の灌漑に使われていた水だという。

【2019/7/1追記】
終戦直後の空中写真を確認したところ、この湧水(★印)の区画とその北側の3区画はなんとまだ水田が残っていた。 7月下旬の撮影で稲が青々と茂る時期のため、写真の色が濃くなっている。川の水は引けない場所であり、また周囲が畑や宅地になっている中で、ここだけ水田が残ったのは、このくらいの広さの稲作は継続できるくらいの水が湧いていたということだろう。
出典:国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より1947/7/24撮影空中写真
(追記終わり)

 これだけ大量の水が特に使われることもなく下水に流れ込んでしまうのはもったいないようにも思える。一方で公園として整備されている湧水が枯渇していたりするのだから、自然に湧く水であるから仕方ないとはいえ、うまくいかないものだ。そしておそらく民有地にある以上、周囲に再び建物が建ったり、場合によっては湧水自体がつぶされてしまうこともあり得るだろう。せめてそれまでの間、時折こっそりと水の流れを確認しに来たい。


住所:板橋区志村2
水量:多い
用途:雑用水
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;.18.5度
水系:出井川
東京都湧水台帳コード:Na-207(おそらく)
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年6月24日月曜日

二十五番:成覚寺崖の湧水集水装置

  ステンレスの函に流れ落ちる水。溜まった水は蛇口を捻ればホースを伝わって思うところに注げる。なかなかユニークな湧水ではないか。

 この設備があるのは成覚寺。高輪台の麓を御田八幡神社から南西に200m、こちらもビルの谷間を抜けた奥にあるひっそりとした寺院だ。1625年(寛永2年)創建の浄土宗の寺院で、芝高輪村では最古の寺院と伝わる。本堂が参道に対して横を向いているのが特徴的だ。

 本堂と庫裏の前を抜けていくと裏手に墓地があり、墓地の背後は三田の台地の崖を高い擁壁が覆う。のっぺりとした乳白色の擁壁の中央に、銀色に光るステンレスのカバーのようなものが縦に貼りついている。

 近づいて行くとステンレスカバーの下部は低木の中に隠れ、そばには水槽がいくつか。

さらに近づけば、崖のステンレスカバーの下に、同じくステンレス製の、蛇口のついた箱がついていることがわかる。こちらが冒頭に紹介した湧水の集水装置だ。擁壁の中腹に湧き出す水を集め、崖下に導いている。手前のコンクリートの水槽の上についた蛇口は井戸などではなくふつうの水道とのことだ。

 覗き込むと、集水管を伝わってぽたぽたと水が落ちていて、ステンレス製の容器に水が溜まっている。蛇口の先につなげられたホースは水槽の中に差されており、水面がゆらゆらと揺れている。

どのくらい水が湧いているのか、記録の意味を込め、動画で。

 下を見ると、集水管の湧水とは別に、崖の直下にある溝にも湧水が溜まっていて、おたまじゃくしがたくさん泳いでいた。

 集水装置の傍の水槽はよく見れば風呂桶の転用だ。中を覗くと金魚が泳いでいたフェンスの覆いの上にはホースが置いてある。

 さて、見学の許可をいただきがてら、お寺の方に湧水のことを訊いてみた。お話では、かつては滝のように水が出ており、周囲に飛び散るのを防ぎ水を上手く利用できるよう、カバーを取り付けたという。だが、2000年代初頭、背後の台地の上にNTTデータ三田ビルが建ってからは、湧水量が激減したという。今はもう「涸れている」と残念そうに仰っていた。ただ、ここまでみてきたように、湧水はいまなお、辛うじて生きながらえている。そしてその水は金魚とおたまじゃくしを育んでいる。涸れるというにはまだ早い。もはやかつての湧水量が復活するのは無理なのかもしれないが、もう少しでも生きながらえていてほしい湧水だ。

 今回は確認できなかったが、隣接する民家の庭にも、擁壁から水が湧き出しているという。こちらも東京都の湧水台帳に記載(Yo-02)されており、以前は庭の池に使っていたそうだが、現在は水量が減り、放ってあるようだ。

 ほか、さらに南西には道住寺、願生寺、伊皿子坂下のマンションとかつては湧水が点在していたが、この春確認した限り、今はいずれも姿を留めていない。そして高輪3丁目の東禅寺には湧水を貯めたかなり大きな池があるが、現在は完全に非公開で周囲からもかすかにしか見えず、今のところ航空写真からでしか確認の術はない。


住所:港区三田3
水量:わずか
用途:水槽
立地:淀橋台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;25.7度
水系:東京湾
東京都湧水台帳コード:Yo-03

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年6月17日月曜日

二十四番:御田八幡の湧水の滝と、亀塚公園の瀕死の湧水

 大松寺から高輪の台地を海側に回り込んで、第一京浜を札ノ辻交差点から数百メートルほど進むと、右手に御田八幡神社の参道が見える。両側をビルに挟まれた参道に入ると、正面に石段があって、その上には社殿が建っている。ビルの谷間の鎮守の森、というのが御田八幡神社のfirst impressionではないか。境内自体は実はそれほど木が鬱蒼としているわけではなく、むしろ開けているのだが、背後に聳える高輪台地の斜面の林が風景に奥行きをもたらしている。
 御田八幡神社は当初延喜式内稗田神社として西暦709年に「牟佐志国牧岡」に鎮祀されたと伝わる古くからある神社だが(稗田神社が現在のどの神社にあたるかについては異説もあるようだ)、現在の場所にこの地に遷座したのは1628年と江戸時代初期となる。かつてはかつては第1京浜=東海道を挟んだ目の前は東京湾の海岸線であり、海に面し東を向いた、見晴らしのよい丘の中腹という立地を選んだのだろう。
 こちらの境内にもまた、高輪の台地から湧き出す水が残っている。社殿に上る石段の左手をよく見ると、少し奥まった場所に滝が落ちているのがわかる。こちらが湧水を利用した滝だ。今ではすぐ近くの建物の階段が視界を塞ぎ目立たなくなっているが、江戸名所図会にも同じ場所に描かれている、歴史のある滝だ。

 建物の隙間から滝に近づいてみる。落差は2mちょっとくらいだろうか。石垣の中ほどにある竜の吐水口から水が滝壺へと滴り落ちている。

 吐水口からの水は、かつてはもっと水量があったのだろう。涸れずに残っているだけでも幸いとするべきか。最近の港区の調査では毎分1~3リットルの湧水量が確認されている。保護柵で囲われていて見えづらいのが残念だ。

 水が落ちるあたりには石が積上げてある。飛沫が散って壮観に見えるようにわざと配されていいるのだろうか。今は水量はあまりないが、それでも水が撥ねるせいか、周囲の石垣の下部は苔が青々とむしている。亀が休んでいた。

 滝壺の中の水は澄んでおり、中でのんびりと泳ぐ金魚の赤い背中が鮮やかだ。だいぶ大きいのもいて、長生きしているのだろう。

 さて、滝を落ちる湧水はこの崖から直接湧き出しているわけではなく、社殿の裏手の擁壁の裏に湧いている水を集水していったん溜めたのち、そこから溢れた水を導水して落としているという。烏森神社の手水舎などと同じような仕組みになっていることになる。探ってみると社殿の左奥の擁壁の前、半ば朽ちた稲荷社の脇に鉄蓋をした貯水槽らしきものがあったが、ここだろうか。隅からは水が浸み出している。

 擁壁の上には台地の斜面が続き、木が生い茂っている。台地上の標高は30mなので、標高差は20m近くに及ぶ。神社正面の階段下の標高は5mなので、そこからだと25m。斜面が急なのでちょっとした山の雰囲気がある。台地の上には亀塚と呼ばれ、古墳とも推定される円丘があって、現在は周囲を含めて公園になっている。
 本殿のちょうど真裏には沖縄の御嶽のイビ門を思わせる石造りの三角屋根のアーチがあった。神社の職員に尋ねたが、何なのかわからないとのこと。その下からもしみ出した湧水がぽたぽたと水滴を落としていた。


 さて、神社の背後にある亀塚公園から、台地の下へと続く階段を降りきった袂の高い擁壁の下にも湧水がある。位置的には御田八幡神社の南隣りとなる。

 植栽が段々に組み込まれた擁壁の下の隅にパイプが出ており、以前はここから湧水が流れ出して、前にある洗い場状のスペースに水が溜まっていたようだ。ただ現在は完全に涸れていて、洗い場も乾ききっている。傍らには湧水のメカニズムや港区内の湧水分布を記した説明版まで設置されており、それなりに力を入れて整備されたようなのだが・・・

 ただ、その水が注いでいたであろう雨水桝をのぞき込むと、中では二方向からきれいな水が流れ込んでいた。地下水位が下がった結果、地上には湧かなくなってしまっただけで、湧水自体は涸れてはいないということだ。しかし、どうも通りの裏手の奥まった場所のせいか、近隣のビル勤務者の休憩スポットとなってしまっているようで、水の中にはたばこの吸い殻が。誰もこの湧水を気にも留めていないようで、つくづく残念だ。
台地の上は公園となっているので比較的水も浸みこみ易そうに見える。湧水が再び地上に姿を現してくれればよいのだが。そうなればゴミを捨てる人もいなくなりそうだ。いや、なってほしい。



【御田八幡神社】
住所:港区三田3
水量:少ない
用途:滝
立地:淀橋台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;10m
水温;不明
水系:東京湾
東京都湧水台帳コード:Yo-1

【亀塚公園下】
住所:港区三田3
水量:わずか(雨水桝内に流出)
用途:なし
立地:淀橋台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;不明
水系:東京湾
東京都湧水台帳コード:なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年6月6日木曜日

二十三番:慶応三田キャンパス向かい、大松寺の湧水池

 続いて大信寺から桜田通りを北東に600mほどの大松寺に向かう。大松寺は慶応三田キャンパスの向かい、桜田通りが高輪台地と通称”三田段丘”の鞍部を越えるあたりの高輪台地の麓に位置している浄土宗の寺院で、八丁堀で1612年に創建の後1635年にこの地へ移ってきたという。
 山門を入ると右手に庫裏があり、正面には墓地と庭園が、そして奥の台地の斜面に、コンクリート造りの建屋の上に仏塔が聳える独特な作りの本堂が見える。(なお、ネット上の情報のほとんどが庫裏を本堂と勘違いしているので注意)

 5月に訪れた際はたまたま庭園を通り斜面を登って本堂の前にいたる小径が開放されていて、植栽の間から池を確認することができた。水は緑色に濁っているが、台地側に設けられた竹筒から水が注いでいるのが見える(写真左端中程)

 注ぎ口をクローズアップ。ちょろちょろとだが、絶え間なく水が流れ落ちる。港区の調査に記されている「暗渠排水」で導かれた湧水がこちらなのだろう。崖の斜面に集水管を差して地下水を導き、池に落としているような仕組みになっているようだ。標高は8mほど。台地の末端だからだろう、だいぶ低い。

 3月に訪れた際は、外から池に近づくことはできなかったのだが、居合わせた寺院の関係者の方にお話しを伺ったところ、庫裏の中に入れていただき近くから池を見ることができた。庫裏の半分ほどが客間になっていて、その正面に庭園と池が見渡せるようになっていた。このときは竹筒からの水は流れてはいなかった(写真中央やや右寄り)。季節や気候により、水は出ていたり止まっていたりということだった。

 一方で、お話を聞いていくうちに、実はもう一か所、たぶん水が湧いている場所がある、ということがわかった。ふだん非公開のエリアのようだが、幸いにも案内していただけた。池の右手には庫裏から本堂へと渡り廊下が続いているのだが、池の一部がしっぽのように細長く伸びていて、その渡り廊下の下を潜り、庫裏の裏手まで続いている。下の写真はしっぽ部分から渡り廊下方向をみたところになる。

 ”池のしっぽ”は庫裏の奥で切れているのだが、お話しによればその末端から水が湧いているようで、子供のころからそこの一角だけは絶えず水が澄んでいるという。

 近くまで寄らせていただくと、水面に動きは見えないものの、確かに端っこの石に囲われた一角は水が澄んでいた。そして、”池のしっぽ”の部分も池本体よりは濁りが少ない。ここから水がじわじわと湧き出して池に流れ込んでいるのだろうか。、標高は7.6mほどと、竹筒の方とほぼ同じ高さだ。もしかするとこちらも暗渠排水で導水しているのかもしれないがなのでここにも人目に触れない湧き水が残っていた。

 なお港区の調査では、以前は崖下の擁壁の水抜き穴からもわずかに水が湧き出していたというがこちらは現在は枯渇しているようだ。また、1990年代はじめころまでは前回記事の大信寺とこちらの大松寺の間に並ぶ寺院のいくつかにも湧水があったが、現在では残念ながらすべて消滅してしまっている。

住所:港区三田4
水量:わずか
用途:池
立地:淀橋台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;不明
水系:古川
東京都湧水台帳コード:Yo-5(竹筒の方)
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工