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2019年10月23日水曜日

三十九番:昭島「井戸出の清水跡」湧水の幻のような復活

 青梅線の東中神駅から、線路を横切る福島通りを南へと下っていくと、やがて道は拝島段丘を下る坂道に差し掛かる。駅付近の標高97mから緩やかに標高88mまで下ってきた道はここで一気に80mまで下るが、その手前に伏見稲荷の古い祠があって、その敷地を挟むように段丘の崖線の縁を縫うように進む道がY字路で分かれる。こちらの道へと入って暫く進むと、目の前の崖線の斜面に立派な森が見えてくる。

 崖の上には日露戦争で戦没した村人の立派な顕彰碑が立っている。そこから下を見下ろすと、直下には祠の屋根が。そして坂を下る路地とその脇の礫が露出した斜面が見える。どうやら探し求めていた幻の湧水跡はここにあったようだ。

 崖の下に降り、先ほど見下ろした方に向けば、そこには小さな祠と多摩川の丸石を積み上げた擁壁が。祠は猿田彦を祀っているようだ。そして石積みの下から、かつて「井戸出の清水」と呼ばれる泉が湧いていた。
 その水量は水車の動力となるほど豊富だったといい、周囲の人々の生活用水として利用され、低地に下ると中沢堀と呼ばれる拝島段丘下の湧水を集めて流れる川の分流へと合流して水田を潤していた。だが湧水はもう何十年も前に涸れてしまい、今では雨の多い年の夏に稀に湧き出す程度だという。だが湧水はもう何十年も前に涸れてしまい、今では雨の多い年の夏に稀に湧き出す程度だという。

 昭島市内にはこれまで取り上げてきたような知られた湧水がいくつか残っているが、この場所は今は涸れていることや崖と住宅、森に囲まれた目につきにくい場所にあるため、地元の人以外には全く知られていないといってよい。資料からこの付近に湧水があるらしいと知り今まで何度か探索していたが、今年の8月、ようやくその場所を見つけることができた。
 見ての通りやはり水は涸れていて、コンクリートで隙間を固められた玉石の下の土は乾ききっていた。もう湧くことは滅多にないのだろう、そう思わせる、全く水の気配が感じられない風景となっていた。市の設置した小さな説明板でも「井戸出の清水「跡」」とすでに失われた湧水であることが示唆されていた。せっかく見つけたが、これでは記事にしても仕方ないかもしれない、そう思い、他の湧水へと足を向けた。


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 しかしこの10月、台風19号が大量の雨を関東地方にもたらしたのち、さいかち窪や前回の記事で取り上げた狛江の揚辻稲荷など、各地で涸れていた湧水が復活した。もしや、と思い再びこの場所を訪れてみると・・・・石積みの擁壁の下から、水が湧き出しているではないか。

 湧水地点を囲む金網を越えた水は、小川となって流れ出す。

 坂道の路地に沿って、水は勢いよく流れ落ちていく。水路の礫が流れに渓谷のような風情と迫力を付け足している。山の中の小さな沢のようだ。かつての多摩川が残していった地層から露出したものだろうか。

 下方から眺めると、かなり傾斜があることがよく分かる。

 こちらは8月、水の流れていなかった時の同じ場所。こちらの写真で見ると道端のただの砂利にも見えるが、実際に水が流れていると自然と河川由来の礫に見えてくるから不思議だ。

 下流側から泉に向かって撮影した動画。

 さて、流れ落ちてきた水はしばらく下ると路地から逸れて、崖線下の森の方へと流れていくのだが、なんとこれだけの量がありながら水はそこで地中に吸い込まれてしまっていた。

 吸い込まれている付近を路地から見下ろしてみる。特に下水道のようなものがあるわけではなく、音もなく水はすうっと消える。この先にも茂みの中に水路の溝が続いているのだが、全くそちらに水は流れていかない。これはどういうことなのか。非常に透水性が高い礫層が露出しているのだろうか。幻のように現れ、そしてあまり人の目に触れることなくすぐに幻のように消える水。なんとも不思議だ。

 川下に続く細いけれど立派な水路にも全く水が流れた痕跡がない。かつてはこちらまで流れていたということは、礫層の上を泥などで固めて水が染み込まれてしまわないようにしていたのだろうか。

 最後に中沢堀の支流に合流する地点。この付近は素掘りの水路となっているが、やはり土は乾いていて水が来た様子はなかった。あれだけ水が湧いているのになんとも勿体ない。

 水が姿を見せているのは崖下の路地の一角だけだから、すぐ近くに住んでいる人以外にはこの復活は全く気が付かれることはないだろう。そしてしばらくすれば水は途絶えてまたもとの「清水跡」に戻ってしまうのだろう。最初は記事にする気のなかった井戸出の清水だが、この一瞬現れた幻を記録すべく、ここに記事として残しておくことにした。



住所:昭島市福島町2
水量:平時は枯渇 2019年10月:ふつう
用途:かつては灌漑用水
立地:拝島段丘
タイプ:崖線
湧出地点の標高:86m
水温:21.1度(2019/10)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-33(現在は除籍)

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年9月18日水曜日

三十七番:拝島段丘の湧水(5)阿弥陀寺の井戸水は川となって流れる

 ここまで訪ねてきた諏訪神社、わさび田、熊野神社十二社弁財天、福厳寺といった崖線下の各所からの湧水は、小川をかたちづくり最終的に宮沢堀と呼ばれる川になるが、そこに加わるもう一つの流れの源を訪ねてみよう。
 その場所は阿弥陀寺。拝島段丘の湧水シリーズ第1回で取り上げた諏訪神社と、道路を挟んだ向かい側、奥多摩街道と諏訪松中通りの交差する諏訪神社交差点の西側に位置している。室町時代前期創建の古いお寺で、宮澤山の号を持つ。

 本堂の左手から敷地の塀を越え、南側の奥多摩街道方面へと続く水路があり、澄んだ水が流れている。

 水の流れてくる方向を見ると、木々の隙間から庭園にある池が見える。水はそこから流れ出している。地図に記されるくらい大きい池だが、全体は見えない。

 この池の水源は境内の墓地にあり、過去の東京都の調査では、そこにはわさび田があると記されている。しかし最近の東京都の湧水リストなどでは消えている。果たして湧水はどうなっているのだろうか。庫裏を訪ねたところ、タイミングよく住職にお伺いすることができた。
 お話しによると、かつては裏手の崖下から豊富に水が湧いていたが、寺の西側の崖線を切り通して新奥多摩街道を通した際、地下の水脈を絶たれてしまったようで、水が涸れてしまったという。しかし池を維持するためには水が必要だ。都に補償を求めたものの、結局対応してもらえず、自費で井戸を掘り、現在はそこから汲み上げた地下水を流しているそうだ。数十メートルの深さから汲み上げた井戸水は水量豊富で涸れたことはなく、水質もよいという。

 許可を得て、墓地にある水源を見させていただいた。本堂の裏手の墓地に入ると、段丘の下に立派な石橋が架かっていて、その下には山間の渓流のような小川が設えてあって、澄んだ水がたっぷりと流れて池に注いでいた。奥に垣間見える池やその周りの庭園も美しい。

渓流となっているあたりに、かつてわさび田があったようだ。

 渓流の一番奥には弁財天の石像が立っていて、傍らの石積みから水が落ちている。奥の囲いの中に電動ポンプと井戸があるようだ。

 静かな墓地に涼しげに響く水音はもはや自然の湧水ではないが、それでも地下水ならではのひんやりとした空気が伝わってくる。実は昭島市の水道もすべて深井戸を掘り被圧地下水を汲み上げて利用している。地下の礫層の幅が広く、滞水量が多いらしい。また、礫が粗いので、汲み上げによる地盤沈下も起こりにくいそうだ。ただ、これが、浅い地下水にも徐々に影響を及ぼし、近年の湧水の減少や枯渇につながっているのではないかという指摘もあるようだ。

 さて、かつて自然の湧水だった時と同様に、池から溢れた水は小川となって外へと流れ出していくが、しばらくは暗渠となっている。交差点の角の三角形の残余地のような一角に、目立たない暗渠が通る。

交差点の向こう側には、道沿いにコンクリートの蓋暗渠がうねうねと曲がりながら続いている。

地上の様子は地味だが、柵の隙間から中を流れる水を見ると、きれいな砂の上を澄んだ水が流れている。

 途中からは暗渠を抜け、雑草の茂みや玉石の護岸に囲まれた水路となる。途中からは多摩川から分けられた昭和用水の分水からの水も少し流れ込んでいて水量を増している。左手に見えるお堂は1805年に建てられた恵日庵で、福厳寺の境外仏堂だ。明治後期には中神村の役場として使われていた。

 前回の記事最後の写真の場所。右側の流れが諏訪神社、わさび田、熊野神社十二社弁財天、近くの民家、そして福厳寺崖下からの湧水を合わせた流れとなる。左側がここまで追ってきた阿弥陀寺からの流れだ。

 合流後は幅広の、川らしい姿となる。ここから先が中沢堀。昭和用水の水路網と絡み合いつつ、残堀川を経由して多摩川へと流れていく。

住所:昭島市宮沢町2
水量:多い(汲み上げ)
用途:池、水路
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:86m
水温:ー
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-13(現在は除外)



地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年9月10日火曜日

三十六番:拝島段丘の湧水(4)わさび田近くの湧水と福厳寺下の湧水

 前回の熊野神社の湧水に続き、その周辺の湧水を見ていこう。熊野神社参道の鳥居の手前で、西へと分かれる道がある。こちらはゆったりとした敷地を持つ旧家の家並みを抜け、段丘をゆるやかに登る坂道となっている。奥に見える森の中には、2つ前の記事でとりあげたわさび田の湧水がある。

 上の写真の地点で左横を覗くと、家々の敷地の間に丸石の護岸であつらえた小さな水路があり、奥に向かって水が流れている。
(流れ)

 水路は道路の端の土管から始まっていて、澄んだ水が滾々と流れ出している。季節により涸れていることもあるようで、6月には全く水は流れていなかったが8月には流れていた。ここに限らず、拝島段丘の崖線からの湧水は季節変動や降水量による変動の幅が大きいようだ。

 水温は19.1度、と若干高めだから、ある程度流れてからここに来ているのだろうと推測し、湧出地点を探ってみた。道路の左側には暗渠が埋まっているのだが、ところどころある柵から中を覗きながら遡っていくと、坂の途中で中の水はなくなり、乾いたコンクリートしか見えなくなる。どうやら途中でどこかから流れ込んでいるようだった。
 坂の途中まで登っていくと、右手の崖下、民家の敷地内から水の流れる音が聴こえてくる。崖下を見下ろすと、玉石の護岸の下から水が湧き出しているのが見えた。傍らには祠もあった。水の行先は家の裏手に隠れてしまい見えないが、おそらくこの水が先ほどの土管へと導かれているのだろう。崖下の標高はおよそ87m。周辺の他の湧水と同じだ。

 こちらの流れも熊野神社からの湧水と同じくわさび田の湧水からの小川に合流している。家々の敷地内や隙間を流れていく小川。流れる水はすべて湧水によるものだ。玉石を積み上げた素朴な護岸が美しい。

 かつて地域の生活用水として大切にされた川の水は現在でもなお、使われているようで、先日は小型の電動ポンプで水を汲み上げ、数十メートル離れた路上に打ち水をしていた。

 崖線が南東へと弧を描いているのに沿って小川は福厳寺の西側で奥多摩街道を越える。崖線の上にある福厳寺の場所には、かつて立川氏の館があったという。同じく立川市の館として有名な立川市内の普済寺敷地と同様、見晴らしのよく利く小高い丘の上という立地だ。そして福厳寺は普済寺の末寺でもある。
 水路は写真左側の家の裏から右へと流れ、道を越えて手前に流れている。奥に見える森が崖線だ。諏訪神社から熊野神社、そしてここ福厳寺にかけて崖線の緑がグリーンベルトのように連続して残っている。この地点でもうひとつ、段丘の崖に湧く水が流れ込んでいる。

 崖線の森の下に近寄ると、擁壁の下に溝が続いているのが分かる。雑草に邪魔されてわかりにくいが、よく見ると水が流れている。奥の森に突き当たる付近が湧水地点で、低いコンクリートの土手前に向かって流れてきて合流している。傍らには古そうな手押しポンプ井戸も見える。

 水量は少なく、地面に染み込んでしまってよくわからない部分もあるが、確かに水が流れている。かつてはもっと水量もあり、館の生活用水として利用していたのだろう。こちらも標高は86mほどと、これまで訪ねて来た段丘下の湧水とほぼ同じ。

 奥多摩街道を南側に渡った小川は、更に諏訪神社の湧水からの流れを合わせたのち、阿弥陀寺方面からの流れを合わせていよいよ中沢堀と呼ばれる川となる。写真左側の流れが阿弥陀寺からの水路だ。次回はこちらの水源、阿弥陀寺を訪ねてみよう。

住所:昭島市中神町2
水量:少ない(民家) わずか(福厳寺下)
用途:生活用水民家)
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:87m
水温:19.1度(2019/8)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年9月5日木曜日

三十五番:拝島段丘の湧水(3)熊野神社脇の十二社弁財天湧水

 わさび田の湧水から100mほど北東には、中神町の鎮守社、熊野神社がある。次はこちらの湧水を見てみよう。奥多摩街道から、北に入るほぼまっすぐな道を進むと途中でわさび田湧水からの小川を越えて、そのまま熊野神社の参道となる。正面に見える鳥居の脇には樹齢400年と云われる大きな銀杏の木がそびえ、その背後には拝島段丘の崖線が緑の帯となって広がっている。

 熊野神社の創建は1360年と伝わる。4月の春祈祷の儀で奉納される獅子舞は、古来の形式を残すものとして東京都の無形民俗文化財に指定されている。
 社殿は拝島段丘の上にあり、10mの高低差を一気に上がる古い石段はかなり急で、通常は使えなくなっている。右手には緩やかな階段があって、そちらを回り込んで参拝するようになっている。

 この階段の脇に、崖線がやや奥にえぐれ2段の擁壁に囲われた一角があり、その下の段の擁壁から水が湧いている。



 湧水は擁壁にある太い土管から流れ出してコンクリートの桝に注いでいる。標高は87m。諏訪神社やわさび田の湧水とほぼ同じだ。20年ほど前の調査では1日230立方メートルとかなりの水量があったようだが、現在はかなり減っている。水温も8月で20.5度とやや高い。それでも夏~秋の湧水が多くなる時期にはそれなりに湧いているようだ。

 擁壁の上段の奥には、低木に囲われた古びた小さな祠が祀られている。

 近づいて中を覗くと十二社(じゅうにそう)弁財天、とある。熊野神社と十二社ときいて真っ先に思い出すのは西新宿の熊野神社と十二社池だ。何か関係があるのか、気になるところだが今のところ詳細は不明だ。いずれにしても水の湧くところだから弁財天が祀られているのだろう。弁財天のまわりの崖線の抉れは、現在は擁壁により直線的な崖になっているが、もとは湧水が削った「ハケ」だったのだろう。

 桝から流れ出した水は擁壁の下に沿って細い溝を東へと少し流れた後直角に曲がり南へと下っていく。この先は民家の敷地内で、わさび田の湧水からの小川に注いでいる。




 擁壁工事がされる前は、どのように水が湧いていたのだろうか。1960年代頃までは湧水を利用し、子供が泳げるくらいのプールがあったという話もあるが、わさび田のご主人の話では湧き水を溜めた大きめの洗い場だったともいう。いずれにしてもかなりの水量があって、それを溜めたそれなりの広さの水槽があったのだろう。
最後に映像で全体を。

わさび田の小川にはほかにも2か所ほど湧水が流れ込んでいる。写真の枚数が多くなったので次回に分けて掲載する。


住所:昭島市中神町1
水量:少ない
用途:なし
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:87m
水温:20.5度(2019/8)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-16

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年8月19日月曜日

三十四番:拝島段丘の湧水(2)民家のわさび田に湧く水

 次に訪れたのは宮沢の諏訪神社から東へ数百メートル、奥多摩街道から集落の路地に入っていったとある場所。ここにはなんと、江戸時代より続くといわれる、湧水を使ったわさび田が今もなお民家の庭先にひっそりと残っている。私有地内なので非公開なのだが、この夏、運良く、特別に見学させていただくことができた。案内してくださったのは昭和10年生まれ、今年で84歳になられる民家のご主人Sさん。
 母屋の裏手に回り込むと、木々の繁る拝島段丘の崖線の下に、日よけのネットに被われたわさび田が現れた。奥行き30mほど、幅5〜7mほどの、奥が狭い台形状のわさび田は2段に分かれており、それぞれに砂利の畝がつくられていて、その間を清らかな湧水が流れてきている。手前の畝には、わさびがぱらぱらと植えつけられている。

 こちらは奥の方のわさび田。水温を測ると18.5度。ここのところの猛暑でやや高めだが、わさびの生育条件にはぎりぎり大丈夫だ。わさびが育つには水はけがよく、直射日光の当たらない土地と、年間を通じて15度から18度の、豊富な湧水が必要だというから、崖線の森の下に水が湧き、礫をたっぷり含む地層があるこの場所はぴったりだ。

 一番奥には石垣があって、その下から水が湧き出しているようだ。過去の東京都や昭島市の調査をみると、1日に1000立方メートル前後(毎分700リットル)もの水量が測定されていることが多く、2300立方メートルもの水量が観測されているときもあった。標高は87m、諏訪神社の湧水とほぼ同じだ。

 崖線の下は丸石が積み上げられて、水がかなりの勢いで流れている。こちら寄りの畝にはわさびは植えられていない。Sさんによれば、今年は春先に湧水が止まってしまい、植えられなかったという。水が涸れたのは、覚えている限り10歳頃に一度涸れて以来2回目だそうだ。夏になって湧水は復活したものの、勢いはやや弱いという。わさびは1年半かけて育てるので今生えているのは昨年植えた株だが、いつもなら食べられる葉や茎も枯れたりして、今ひとつだったそうだ。

 わさび田を潤した水は一筋にまとまり、小川となって流れ出ていく。いつもは畝の間を流れるそれぞれの水が、小川となって流れ出しているあたりと同じくらいの勢いがあるという。

 奥のわさび田から水が湧き出す様子を映像でみてみるとこんな感じ。石垣や砂利の間にはサワガニがたくさん棲んでいるそうだ。このままでも十分美しいが、水量が平時の状態に戻り、わさびが植えつけられればもっと清々しい風景になるのだろう。

 手前のわさび田の映像はこんな感じ。板をはめる溝のあるコンクリートの柱が並んでいるが、こちらが一時期生簀にされていたのだろうか。

 わさび田の手前には祠があって、水神様、鎌倉の御霊社、そして稲荷社が祀られている。ご主人の話では近隣の民家十数軒で稲荷講が組まれていて、毎年2月に集まり、皆で飲み食いするのだとか。

 小川は近隣の家々の隙間や屋敷内を通り抜けていき、各家が生活用水として利用している。さきほどの水神様はその水源の守り神として、近隣からも信仰されているようだ。流れには他の湧水も加わっていくのだが、それらについては次回の記事で。

 このわさび田はSさんの話では物心ついた頃からあったとのことだが、昭島市によれば江戸時代後期に記された「新編武蔵風土記稿」に祠の御霊社と、そのそばの長さ36m、幅9mのわさびの生育する池が記されているという。今のわさび田とほぼ変わらない大きさと位置だから、少なくとも江戸時代後期からあったということになる。
 Sさんが知る限りでは、基本的には売り物にはせず、自家消費や近所の人へのおすそ分けして使ってきたが、戦争中の食糧難のときは、近隣の工場にわさびやその葉をご飯のおかずとして提供していたこともあったとか。また戦後の一時期、一角を生簀にして、近所の魚屋のうなぎを預かっていたとか。

 Sさんは、台地の上の開発が進んでいるし、湧き水がいつまた止まるかわからない、わさび田もどうなるかな、といったニュアンスのことを仰っていた。ご高齢でもあるし、続けていくのも大変だろうが、この貴重な空間が残ることを願う。別れ際、またいつでもおいで、と仰ってくださった。わさびは毎年3月に花を咲かせるというから、その時期にまたできれば訪ねてみたいものだ。



住所:昭島市宮沢町2
水量:多い
用途:わさび田・川
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:87m
水温:18.5度(2019/8)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-15

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工