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2019年5月25日土曜日

二十一番:桐ヶ谷氷川神社 氷川の懸泉はいま…

 東急目黒線の不動前駅から、目黒不動とは反対側(南東)に向かってしばらく歩いていくと、右手に桐ケ谷氷川神社の参道が見えてくる。江戸時代初期の創立と推定される、かつての桐ケ谷村の鎮守社で、拝殿・本殿は参道奥の目黒台の崖上に鎮座している。

 境内の崖からはかつて豊富に水が湧いていた。おそらくそういう場所だからこそ氷川神社となったのだろう。江戸時代末期の1851(嘉永四)年には、村人により湧水を利用した滝が整備された。滝は「氷川の懸泉」と呼ばれ、雌雄2筋の滝が4.5mほどの崖を落ちていたという。滝は江戸七瀑布の一つとして数えられ(現存するのは目黒不動の独鈷の滝と等々力不動の滝、王子名主の滝(揚水))、明治時代にかけて涼を求める人々でにぎわったという。
 滝の水量は徐々に減っていったようだが、1960年代の写真ではなお石樋から水が落ち、子供たちが遊ぶ様子が見られる。
(品川区サイトより)https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=146
 参道をまっすぐ進むと、台地に上る階段に行き着く。境内は1989年に大規模に改修整備されていて、先のリンク先にみられるような崖の斜面の風景は全く残っていない。

 階段の左手には、石樋とそれをうける水鉢がある。しかし、残念ながら全く水は流れておらず、水鉢に雨水が溜まっているだけだった。石樋は昭和30年代の写真に写っている樋と同じものだ。1987年に撮影された写真でも、樋をざぶざぶと流れ落ちる水が写っており、同年にはしながわ百景「氷川神社とわき水」として指定されている。かつては隣の安楽寺の池にも水を引いていたというから、それだけ水量が多かったのだろう。けれども今は水の気配すらない、悲しい状況だ。

 一方階段の右手には池があって、その奥には崖下に巨石を積み上げた滝が見える。こちらは1989年、境内整備を行った際に、涸れかかっていた湧水の水量が急に復活したため、滝を修復してあらたに「氷川の滝」と名付けたものだという。

池の標高は11mほど、台地上の神社は18mで、中腹に設けられた滝の高さは15mくらいだろうか。見上げると落ち口は二つあって、左側の石樋の方は品川区サイトの1960年代の写真で右側に写っているのと同じもののようだ。滝壺はほんのり濡れていて、見上げるとポタポタと水が落ちてきている。

ズームアップして見てみる。とても滝とは言えないが、辛うじてそのアイデンテティを保っている水滴が、断続的に落下している。

階段を登り切ると、拝殿の手前に手水舎がある。屋根の柱には「この湧き水は飲めません」と標識が出ている。おやおや…?

 近寄ると青竜の吐水口から水が流れ落ちている。その量は滝よりもむしろ多いくらいだ。しかし、触ってみるとややぬるく感じられる。水温を測ってみたところ21.5度と、やはり湧水にしてはちょっと高い。どこか不自然だ。

 さらに裏手の水道の蛇口脇にも湧水につき飲用不適との表示があった。ただ、蛇口の取っ手は外されており、今は水は出ないようだ。
 
 どうにも気になり、真相を確かめるべく、社務所に尋ねてみた。奥様らしき方が丁寧に対応してくださったお話によると、
以前は湧水の水量が多く、手水舎にも蛇口の水にも使っていたが、最近は水量がめっきり減ってしまい、実は水道水に切り替えているとのことだった。そして、なんと滝の水も、今は水道水を少しずつ流しているのだという。雨が多く降った後は、今でも湧き出すのですけどね、せっかく来ていただいたのにすみませんね、と、申し訳なさそうだった。
 ただ、滝の崖下、岩の隙間からは、量は少ないけれど今でも水が湧き出しているという。こちらは正真正銘の湧水で、水量の増減はあっても涸れることはないという。

 お礼をお伝えしおいとました後、再度、滝のそばまで確認しに行ってみることにした。階段の途中から池を見下ろすと、確かに滝のある崖の左側、コンクリートのガレージとの境目から、水が流れ出して池に注いでいるようだ。

 岩陰から流れ出す水は、滝の水滴からの水より多い。そばの雨水桝の格子の中からも水音が響いており、地中の水位が下がって水の大半が雨水桝の中に湧き出すようになっているのかもしれない。

湧き出し口のアップ。ほんとうにささやかな湧水ではあるけど、その水は澄んでいて、生き生きと湧き出している。

 水温を測ってみると18.6度と、目黒不動などの水温よりはやや高いが、手水舎の水道水よりは3度も低い。やはり本物の湧水だけあっって、気温変動の影響を受けていないようだ。

僅かではあるけど、滾々と流れ出し、池にちょろちょろと流れ込んでいる水の様子に少し救われた気分になって、しばしその流れを見つめ、「氷川の懸泉」に想いを馳せた。


住所:品川区西五反田5
水量:わずか
用途:滝、池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;11m
水温;18.6度
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-14
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年5月18日土曜日

二十番:目黒不動の独鈷の滝。その水源は…

 羅漢寺川跡沿いの湧水、蟠龍寺の湧水池に続いては、東京の名湧水57選に選定されており、広く知られている目黒不動の湧水を訪ねてみよう。
 「目黒不動尊」として知られる 瀧泉寺(りゅうせんじ)は、808(大同3)年の創建と伝わる、関東最古の不動霊場とされる天台宗の寺院だ。開基の際、慈覚大師が地面に独鈷を投じたところ、泉が忽ち湧き出したとの伝説が伝わり、これが寺院の名前の由来になっている。 江戸時代には徳川家光の帰依を受け、大変なにぎわいを見せる行楽地となった。目赤、目白、目黄、目青不動とあわせた江戸五色不動のひとつでもある。
 境内は目黒台とその下の低地にまたがって広がっており中ほどを崖線が東西に横切っている。低地側にはかつて、門前を羅漢寺川が流れていた。崖上の標高は19m、崖下の低地は10mなので、その標高差は9mほどとなる。台地の上にある本堂に向かってその斜面を男坂と呼ばれる石段が上っているが、その左手に、独鈷によって生じた泉の水を引いたとされる、その名も「独鈷の滝」が懸っている。こちらが目指す湧水だ。

 斜面の上部は土が露出していて、木々の下には石像が並んでいる。その下部を石垣が覆い、そこに設けられた2つの竜の吐水口から湧水が滝となって落ちる。滝の水は「龍御神水」と呼ばれ「開山以来、千百有余年涸れずに流れる霊水」とうたわれている。
 吐水口の標高は13mほどと、羅漢寺川沿いの湧水とほぼ同じ高さ。あちらでは地面に近い位置だったが、ここでは3m弱ほどの落差があり、それだけ羅漢寺川の流れる低地が下ってきているということだ。どちらも水を通しにくい東京層の地層が擁壁や石垣の裏側で露出し、その上から湧水が流れ出していると思われる。
 滝壺の池はそれほど深くはなく、底には石が敷いてあり、かつては不動行者の水垢離の場となっていた。 江戸時代の浮世絵でも、現在とほぼ変わらない、石垣を二筋の滝が落ちる風景や、滝を浴びる人の姿が確認できる。

 2つの竜のうち、左側の方は周囲の石垣の隙間からも水が漏れている。

 今では水垢離はできないが、代わりとして1996年に「水かけ不動明王」が建てられた。(1枚目写真に写る像)。滝の水をひいた水鉢の水をこちらに掛けることで、身代わりに滝泉に打たれてくれるそうだ。

 池の傍らには、青竜大権現を祀る垢離堂がある。90年代半ば頃までは、左側の竜の吐水口の下から石垣沿いに垢離堂前まで樋が懸っていて、そこに水を汲みにくる人の姿がよく見られた。現在は樋は外され、垢離堂の前も柵がされて、立ち入れないようになっている。

他にも境内各所に水が引かれていて、水の名所であることを印象付ける。こちらは垢離堂前の水鉢。

垢離堂の奥には江戸時代に建てられた前不動堂があり、その前にも割と新しい、小さな竜の吐水口がしつらえてあった。

正面の男坂の石段の右手には、緩やかな女坂の石段があり、その側面でも鯱のような石像の口から湧水が流れ落ちる。

 山門の左手、バス通りを挟んだ区画には三福堂の池がある。こちらの水は濁っており、直接水が湧いているわけではなさそうだ。池のほとりのお堂には恵比寿様・弁財天・大黒天が祀られており、その中で「山手七福神」としては恵比寿様の参拝先の役目をもっている。

 三福堂前には「金明湧水 福銭洗い」があるが、水鉢は茶色に変色しており匂いを嗅いで見ると鉄臭い。崖線の湧水とは別の、鉄分が高い地下水をくみ上げて流しているのだろう。

 ほかにも、見ることはできないが、庭園や阿弥陀堂裏手の池などがあるようだ。いくつかの水は集められて水路をなし、羅漢寺川暗渠の近くまで流れている。かつては川に注いでいたのだろう。

 このように、目黒不動尊境内は各所に水がフィーチャーされている。都内でここまで水を前面に出している寺社は、ほかには深大寺くらいだろうか。ただ、深大寺の方は周囲に緑も多く、各所で自然に水が湧いているのに対して、こちらは周囲には家々が密集していて、緑があるのは崖線上部の境内くらいだ。確かにすぐ近くの同じ崖線にある羅漢寺川沿いの湧水(前々回)は比較的水量が多いが、これだけの水を果たして賄えるのだろうか。
 少し気になっていたのが、3月に訪れたとき、独鈷の滝の水が間欠的に流れ落ちていたことだ。自然の湧水そのままが流れ落ちていれば、このようなことは起きないはずだ。一方このとき、滝壺の池の水位はいつもより低くなっており、4月、5月に再訪したときは水かさは増していた。これは季節や天候による地下水の水量変動が現れているということだ。真相を知るべくお寺の方に伺ったが、詳しくない方だったのか、それとも喋りたくないのか、要領を得ないお答えだった。

 いったんはそれで終わったのだが、どうにも気になったので、再再訪して滝の周囲をよく見て回った。すると、滝の脇、小高く奥まった場所にある前不動堂の傍の崖下に、コンクリートブロックで囲われた小さな小屋を見つけた。

 近づいて見ると、水が流れ落ちる音がする。そして隙間から覗き込むと浅井戸用のポンプ「New Kegon」のラベルが見えた。どうもここから、前不動堂前と垢離堂前に導水しているようだ。数メートル東は独鈷の滝の滝壺となっていて、そちらにも送水している可能性もありそうだ。

 小高くなった敷地から垢離堂の裏側を見下ろすと、そこからはじわじわと水が湧き出していて、パイプと溝を使って独鈷の滝の滝壺へと流されていた。この一角で今でも水が湧いていること自体は間違いなさそうだ。

 さて、考えてみる。ポンプの標高は独鈷の滝とほぼ同じということは、地下水の水脈は滝と同じか、もしくはそもそもこちらが水源だったということか。烏森稲荷神社の手水鉢のように、離れたところで湧く水を導水して落とす、というのはわりとよくある事例だ。次にこのポンプは湧水を単に分配送水するためなのか、それともある程度井戸のように掘り下げて。汲み上げているのか。3月のときに間欠的に水が落ちていたということは、少なくとも一旦水は溜まっているのだろう。また、5月に改めて訪れた際はモーター音は聞こえなかったことから推測すると、湧水は自噴井戸となっていて普段はオーバーフローで流れ出していて、水位が低くなった時にだけ稼働して汲み上げているのかもしれない。いずれにしても、「開山以来、千百有余年涸れずに流れる霊水」は、その水脈は確かに変わっていないようだが、地上への水の流れ出し方はおそらくかつてとは変わっていそうだ。

 今回あらためて、目黒不動の湧水に関する古今の資料をひととおり漁ってみたが、これだけ有名にもかかわらず、その水そのものについて、詳細にまでふれているものは見当たらなかった。それは誰も特に興味を持たなかったからなのか、それとも何らかの意図で触れられてこなかったからなのか。不動尊の縁起にかかわる、いわばアイデンティの根幹をなす水、それ今も湧き続けているのは素晴らしいことだが、いまひとつ、もやっとした思いが残ったままとなった。


住所:目黒区下目黒3
水量:多い
用途:滝、手水、池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;14m
水温;16.2度
水系:目黒川(羅漢寺川)
東京都湧水台帳コード:Me-10
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年5月12日日曜日

十九番:蟠龍寺、目黒七福神弁財天の池

 前回は羅漢寺川跡に面した湧水を3か所訪ねた。川跡に面してもう1か所、有名な目黒不動の湧水があるのだが、その前に近くの別の湧水池を訪ねてみよう。目黒台の岬状の部分を挟んで反対側、目黒川側の斜面の下に位置している、蟠龍寺の池だ。

 蟠龍寺は、17世紀に開創された浄土宗の寺で、境内には東京近郊では最古の七福神巡りである「山手七福神」のひとつとなる弁財天も祀られている。弁財天といえば芸能の神様としても信仰されているが、こちらの境内には音楽スタジオ「蟠龍寺スタジオ」があって、自主製作レーベルのVentainレコードも運営されている。なかなかユニークなお寺さんである。
 山手通りに面した山門から続く参道を入り数分進むと、突きあたりに木々に囲まれた本堂が見えてくる。

 そして、本堂の前に広がる庭園の中央に、南北に瓢箪のような形をした池が横たわっている。池の姿は江戸名所図会でも確認でき、古くからあったことがうかがわれる。手入れされた木々や植え込みに囲まれ、一度に見渡すことはできないが、その分複雑で趣き深い景観を見せる。下の写真は本堂から池を見下ろした風景。右手前から左奥に池が広がり、中央、植え込みに隠れているところで池がくびれていて石橋が架かっている。

 石橋は3枚の石を渡し、アーチ状になっている。かなり古そうだ。橋を渡ってすぐが本堂の正面となる。

 池は十分に水をたたえてはいるものの、やや濁っている。水の出所を探ると、石橋の南側で竹筒から水が落ちていた。庭園の風景に調和しており、どこからか引いてきた湧水っぽくもある。

 一方池の北側では木に蛇のように巻き付いたビニールホースから水が落ちていてちょっと不思議な感じだ。いずれも水量は少なく、また池の水はやや濁っていて、水の入れ替わりはあまりなさそうな雰囲気だ。

 池は東京都の湧水台帳でも以前は管理番号がつけられリストアップされていたので、湧水があったことは間違いない。現在はどうなっているのか、お寺の方に尋ねてみた。
 かつては池から水が湧いていたが、街の舗装化の進行でその量は減っていき、山手通りの下を通る首都高速中央環状線の工事が始まった頃(2005年頃)からは、自然に湧く水はほとんどなくなってしまったとのことだった。そして、現在竹筒とホースから落ちている水はいずれも汲み上げた井戸水を流しているそうだ。
 池の標高は12mほどと、目黒台の他の湧水よりやや低いくらい。台地を挟んだ反対側、羅漢寺川に面した崖には今でも水が湧いているのとは対照的だ。環境のほか、地下の水みちの向きなども関係しているのだろうか。羅漢寺川の谷戸の間に小さな微低地を挟んでいるから、違う水みちなのか。雨の少ない時期には汲み上げ井戸の水も涸れてしまうことがあり、そのようなときには水道の水を足すこともあるという。ということは井戸は浅井戸で、湧き水と同じ水脈なのだろう。地下水位の低下で、地上に湧き出す水がほとんどなくなり、渇水時にはさらに水位が下がって井戸の底にもでなくなる、ということだ。
 前の写真のホースの背後、本堂の右手にあるのが弁天堂で、少し小高くなったところに木彫りの弁財天が祀られている。そして、その背後の目黒台の崖の擁壁をくりぬいた穴には岩窟弁財天の祠もあって、こちらには中に入ると石像の弁天像が祀られている。やはり水の湧くところ故、なのだろう。

 池の北端には「おしろい地蔵」も祀られていて、お参りした方にファンデーションや口紅を塗られている。広くはないが趣があり、見所の多い蟠龍寺、再び地下水位があがって、弁天様に護られた池に湧水がまたいつの日か復活することを願う。

住所:目黒区下目黒3
水量:ほぼ枯渇
用途:池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;12m
水温;ー
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-11

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年4月30日火曜日

十八番:入谷川(羅漢寺川)跡の湧水と三折坂の湧水

 目黒台に深い谷を刻む、羅漢寺川と呼ばれる目黒川の支流。その名は下流部にある羅漢寺に因むが、羅漢寺がこの地に来たのは明治時代で、それ以前は同じく流域にある目黒不動にちなみ不動川などとも呼ばれていた。3つの支流を合わせ、豊富な湧水の流れる川沿いには谷戸田が広がっており、明治以降は3つの池を備えた遊園「苔香園」や釣り堀池などもあった。
 現在川は暗渠化されてしまったが、今もどこか水の気配を残している。支流のひとつ入谷川沿いは特にそれが濃厚だ。入谷川は油面の交差点付近に流れを発し南下、羅漢寺川と林試の森公園の北側で出会った後向きを変え、目黒不動の境内まで平行して東に流れ、そこで合流していた。2つの流れの間は水田で、前者は谷戸の北側の、後者は谷戸の南側の崖下に沿っている。

入谷川跡の湧水

 入谷川跡沿いとなる谷戸北側の崖の擁壁は苔で覆われ、蔦が這う。川面を塞いだ路面のアスファルトはだいぶぼろぼろで、継ぎ目からは雑草が生える。水面を封じ込めてもなお、そこに水が潜んでいることを感じさせる風景であるが、その一角には今で水が湧いている場所がある。知る人の間では非常によく知られている、というと変な言い方ではあるが、一部では有名な湧水だ。

 擁壁から突き出すパイプから、じょぼじょぼと水が流れ落ち、水鉢に注ぐ。家々が背を向け、人通りもほとんどない路地の静寂に、その音は響きわたる。

 水温は17度ちょうど。湧きたて新鮮の温度である。水量には季節変動はあるものの常に勢いがあり、このまま下水に落ちていくのが勿体無いくらいだ。夏の暑い時期になるとパイプの周りに藻が生えていたりもするので、水質はあまり良くはないのかもしれないが、川があり、水が満ちていた頃の記憶を残すこの湧水はいつまでも残っていてほしい。


塞がれた湧水

 さて、川跡を少し下って振り返ってみる。水色の街灯柱が立っているあたりがさきほどの湧水だが、このあたりの崖側でも、水が湧いている(いた)場所がある。

 大谷石の護岸の下部に、コンクリートと瓦礫で塞ぎかけた穴が空いている。2015年の秋に訪れた時、この中から、水の音が鳴り響いているのに気づいた。

 中を覗くと、陶器の樋のようなところから水が落ちるのが見えた。多分そのまま汚水枡に落ちてしまっているのだが、かつて川が流れていた頃は、水面に注ぎ落ちていたのだろう。川の暗渠化に伴って、川と同じく水面を塞がれてしまった湧水はそれでも密かに、健気に水音を響かせていた。

 しかしこの水は、今年2019年の春先に訪れた時には涸れていた。この春の少雨の影響で一時的に止まっているのか、それとももう涸れてしまったのか。またその水音を聞きたい。

三折坂の湧水

 さらに川跡を下っていくと、目黒不動の敷地に突き当たる。その手前、北側の目黒台から坂道が下って来ている。坂の名前は三折坂(みおりざか)。坂がS字状に3回曲がっているのがその名の由来だというが、坂を下って目黒不動に参拝することからついた「御降坂」を由来とする説もあるそうだ。
 この三折坂の下のマンションの玄関前に、3段式の池のような設備がある。植え込みと一体化していてあまり目立たないがこれも湧水だ。

 こちらは以前この地にあった民家の庭先に湧き、生活用水に使っていた水をそのまま生かして、親水施設にしたという。1998年の調査では1分あたり20リットルとかなりの水量が記録されている(だからこそ埋め立てたりできなかったのかもしれない)。本来は各段に流れ落ちるのだろうが、訪れた時期は水量が少なく、最上段にだけ水が溜まっていた。ただ、設備と路面の隙間にも水が染み出していて、綺麗に整えた設備の綻びはいかにも湧水らしい。

 最上段の水の中には、石臼が置かれていた。特に注意書きなどがあるわけではないので、マンションの住民でもこれが湧水であることを知る人は少ないのかもしれない。全体のデザインの中で違和感を放つこの石臼は、設計者がここが湧水であることをささやかに主張するために置いたのかもしれない。水は静かだが澄んでいて、水温を計ると17.6度と羅漢寺川の湧水と同じくらいだった。2つの水はだいぶ姿は違っているけど、同じ水みちを辿ってきているのだろう。

【入谷川跡】
住所:目黒区下目黒4
水量:普通
用途:なし
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;14m
水温;17.0度
水系:羅漢寺川 目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-202

【三折坂】
住所:目黒区下目黒4
水量:わずか
用途:親水施設
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;13m
水温;17.6度
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-201

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年4月25日木曜日

十七番:中目黒ガスタンク跡の湧水と「松風園」の湧水池

 「平成」の初め頃まで、中目黒の台地の麓に、一帯のランドマークとなっていたガスタンクがあったのを、地元の方ならご存じだろうか。この通称「目黒のガスタンク」は1927(昭和2)年に竣工した、高さ45m、直径56mの円筒形のガスタンクで、目黒台の斜面を抉るように削って建てられた。元々は牧場のあった土地だという。タンクの立つ場所の標高は12m、目黒台の上は標高27mほどだから差し引き30mほど台地の高さを越えていることになる。ビルの高さに換算すると10階建てくらいだろうか、当時の目黒ではガスタンクは非常に目立ったに違いない。
 同じ年に東急東横線が渋谷まで開通、周囲は急速に市街化が進んでいったが、このガスタンクの敷地は台地上から斜面にかけて広葉樹の巨木が生い茂る森が残り、そこには水が湧き出していた。終戦直後の昭和21年、子供時代にこの湧水を見た方の回想から引用してみよう。

「傾斜地の下方の樹木や下草の間から清水が湧き出ていた。それは小さな流れを作り、低地には清らかな水をたたえた池ができていたのである。思わず近づいて池中を覗きこむと、水草が茂り、小魚が群れ、藻の陰には小エビが生息しているのが見えた。流れのある傾斜地にはサワガニが姿を見せていた。」
(平山元也「中目黒のガスタンクと高砂ゴム工場の煙突」(郷土目黒45号)より)

 1960年代にはガスタンクを囲む森の一部は東京ガスの社宅となって、切り開かれ、また、1972年にはタンクを筒状のものから球形に変更する工事も行われた。それでもこの湧水は残り続け、1988年の東京都の調査でも、1日5000リットル(1分あたり3.5リットル)ほどではあるが湧水が確認されている。
 1991年にガスタンクは台地上の社宅とともに撤去され、跡地は1995年にマンションとなった。ガスタンクのイメージを残した、円形に配置された独特の構造のマンション群の一角には「中目黒大使公邸」も建てられている。中目黒の大使というわけではなく、30か国の駐日大使が暮らす、大使専用のマンションだ。
 ガスタンク撤去前後の地形図を比較してみよう。
出典:一万分の一地形図「渋谷」左:1990年 右:1995年 国土地理院

 では湧水はどうなったのだろうか、というと、幸いにも開発時に目黒区の手により保全され、中目黒南緑地公園として残されている。現地を訪れてみた。

 公園の大部分は台地の斜面にあり、中央を南北に階段が抜けている。台地の上のマンションが高低差を強調している。

 階段の途中から北側を振り返ると、左手の階段を下りきったところに池がみえる。背後にはマンションの棟が迫り、ぎりぎりのところで保全されている様子がわかる。

少し角度を変えてみると、池に注ぐ水路が見える。この春は各地で湧水量が減少しているのだが、かろうじて水が流れている。

 湧出口は階段の西側の斜面にあって、草木に遮られて見えにくいが、えぐれ込んだ石組みの上からちょろちょろと流れ落ちている。

斜面となった水路を流れる水。湧水が多い時期ならもう少しはっきりとしたせせらぎとなるのだろうか。

 水は池へと注ぐ。水辺に近寄れないため、池の中に今も小魚や小エビがいるのかどうか、よくわからない。

 確かに湧水は今でも湧いていた。しかし、全く近づけないのはどうしたことか。水が湧水であることがどこにも触れられていないのも、少し寂しく思える。自然のままの水路や池を残しているわけではないのだから、親水性を持たせるような作りにしても問題なかろう。そうすれば、土地の来歴にももう少し関心がもたれるのではないか。今の子供にも、終戦直後のきらきらするような水辺の体験を味わえてもらえたらよいのだが、現状ではとても無理そうだ。

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 ガスタンクの湧水の南東50mの場所にも、もうひとつ、近寄れない湧水池が残っている。池は松風園コーポと松風園ハイツという2つのマンションの奥の崖下にある。東京都の湧水台帳には「松風園」と記されているが、マンションの敷地というよりは、その敷地の所有者である長泉院の池、といったほうがいいのかもしれない。
 長泉院は台地の上にあって敷地内に「長泉院付属現代彫刻美術館」を開設しており、彫刻の並ぶ公園のような屋外展示場の一角から柵越しに池を見下ろすことができる。
 池はコンクリートで固められた半月型をしていて、一見マンションの中庭のようにみえるが、マンション側とはブロック塀で隔てられているようだ。円筒形の鉢植えのような中島がいくつか設けられている。水は背後の崖線から湧き出しているようだがよく見えない。



 湧出地点の推定標高は15mと、ガスタンク跡の湧水と同じだ。湧水量も1988年の東京都の調査では1日5000リットルとこれもガスタンク跡と同じ。池の大きさからするとかつてはもっと湧いていたのかもしれない。
 長泉院の創建は1761年。それ以来1960年代まで、その本堂は現在マンションが建つ崖下にあった。寺院の名も、裏山から湧いた清水が境内に流れをなしていたことによるという。まさにこの池の水源の湧水であろう。1970年代初めに本堂は崖上に移転し、前後して崖下の敷地には松風園コーポ(1968年)と松風園ハイツ(1970年)が竣工、現在の池もそのころに整備されたようだ。
 さて、この「松風園」という名前は何に由来するのか。中目黒八幡神社からなべころ坂の間にかけて、1890年代に、広部銀行の創設者広部清兵衛の別荘「驪山荘」があった。8万平米に及ぶ敷地には斜面に庭園、丘の上に屋敷があったといい、銀行の接待にも利用されていたという。
出典「東京府荏原郡目黒村」(明治44年)東京逓信管理局

 地形図を見ると、かなり大きな池の姿も見えるが、大正後期にはこの敷地は高級分譲住宅として開発されることとなった。土地は造成され、池も埋め立てられた。しかし、昭和に入って広部銀行は経営悪化(1930年には廃業)、開発は箱根土地株式会社の手に移った。西武グループ、国土計画の前身である箱根土地はこの時期、小平学園や大泉学園など、都内各地の開発を手掛けており、それらの中で驪山荘跡は1935年前後より分譲が始まる(同時期に代々木上原の徳川山も分譲)。この際に名付けられた分譲地の名前が「松風園」だ。分譲開始直後の航空写真では、ガスタンクの北側にゆったりとしたその区画を確認することができる。
 出典:地理院地図 航空写真 1936年

 松風園の土地区画は現在でも道路の区画にその名残をとどめている。冒頭地図、中目黒八幡神社とガスタンク敷地の間に挟まれた扇型の区画がそれだ。したがって、松風園のあった区画と現在松風園を名乗る2つのマンションのある場所は当初からガスタンクの敷地で隔てられており、全く関係ないといえばない。
 なぜ松風園を名乗っているのか、マンションが建った時代はまだそれだけネームバリューとブランド性があったのだろうか。関係者に訊いてみたいところだ。ただいずれにしても現在松風園の名を残すのはここだけで、場所は違うけれども土地の来歴の記憶を残しているという意味では趣き深い。

【ガスタンク跡】
住所:目黒区中目黒
水量:わずか
用途:池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;15m
水温;ー
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-8

【松風園】
住所:目黒区中目黒
水量:不明
用途:池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;15m
水温;ー
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-9
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工