2019年3月23日土曜日

十一番:稲付谷、水車小屋跡のささやかな湧水路

 路上に染み出す湧水(前回記事)から離れ、稲付川跡の谷底を挟んで反対側、北側の谷の斜面の下へと向かうと、遊鯉園の坂と向かい合うように、急な階段の坂が赤羽台の上へと急斜面を登っていくのが見える。この坂は、かつて近くに水車小屋があったことから「水車の坂」と呼ばれているそうだ。古地図を見ると、確かに、大正時代末頃まで、坂の北東数十mほどの場所に水車小屋があったことが確認できる。稲付川の流れを分けて迂回させ、そこにかけられていたようだ。
 水車小屋のあったあたりまで行ってみると、家々の立ち並ぶ間から、道に直角に交わるようにコンクリートU字溝があった。溝の底には絶え間なくサラサラと、水が下ってきており、手前の雨水桝へと流れ落ちていく。

裏側の路地に入り込むと、行き止まりで水路の根元にたどり着いた。崖に平行して水車の坂側(下写真右上)と北東側(左下)からU字溝の水路が流れてきて、ここで合流し、道路の方(左上)へと続いているようだ。

 水車の坂方向からの流れは、家々の裏手の壁下から流れてきている。柵に阻まれて奥の方まで確認することはできないが、明治や大正時代の地形図ではまさにこのあたりに水車の記号と水車小屋が記されている。

 手前の水路はここに来るまでの裏路地に沿って続いている。水は溝の途中まで満たしているのだが、その途中から水面が揺れていて、どこかから水が湧いているようだ。

 眼をこらして水の湧く場所を探して見ると、U字溝の継ぎ目の隙間から、こんこんと水が湧き出していた。閉じ込められていたところから解放されるように、溢れるように、勢いよく湧く水は生命を感じさせた。ここもまた、標高10m。目に見えない、地下のボーダーライン。

 動画で水面の揺らめきを撮影してみた。U字溝の側面を覆う苔や、継ぎ目から生える草は生き生きとしていて、水が常に流れていることが窺える。

 稲付川の谷底にはかつて水田が広がり、谷の斜面は雑木林が覆っていた。のどかな風景に、水車の軋む音や杵を搗く音が聞こえていたのだろう。しかし関東大震災後、一帯は台地の上も谷の下も、東京の市街地拡大の波に呑まれていく。水車は営業を止め、不要になった稲付川の分流も早々に埋め立てられた。
 それから90年以上たった今、当時の風景の手がかりは何もないし、それらを知る人ももはやいない。けれども水車の分流に注いでいた湧水は今もなお、ささやかに流れて、水の記憶を伝えている。

住所:北区赤羽西3
水量:少し
用途:なし
立地:本郷台地
タイプ:崖線
湧出地点の標高;10m
水系:石神井中用水_稲付川
東京都湧水台帳コード:なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

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