2019年11月21日木曜日

四十番:2年ぶりに出現した「幻の湧水池」小平霊園・さいかち窪

 西武新宿線小平駅の北口の階段を下りるとすぐに、小平霊園へと続く並木道が始まる。墓石屋の並ぶ静かで広い道を数分進むと、霊園の正面入り口だ。小平霊園は1948年に武蔵野の雑木林を切り開いて開園した、小平・東久留米・東村山の3市にまたがる霊園だ。開けた空の下ゆったりとした区画の奥に進んでいくと、こんもりとした森が見えてくる。

森は馬蹄形に広がっていて、コナラやクヌギといった雑木林が高く伸びているので一見、丘のように見えるが、森の中に入って行くと周囲より2〜3mほど低くなっていることがわかる。この窪地が「さいかち窪」だ。かつてあったサイカチの大木に由来すると言われているが、一方、カブトムシが多かったことからその別名サイカチムシを由来としてこの名がついたという説もある。
 さいかち窪は東久留米市から朝霞市にかけて流れる黒目川の源頭部となっている。このためか、窪地の大部分は東久留米市内になっている。ただ、ふだんは水の気配のない草むらがあるだけで、川の流れは新青梅街道を越えもう少し北へ下ったあたりから始まっている。 しかし、数年に1度、しかも秋の1~2か月だけ、この窪地に湧水が出現することがある。90年代以降でみると、1991年、98年、2004年、08年、15年と4〜7年ごとに出現したが、その後16年、17年と連続して出水しており、今年2019年も、関東~東北各地に大きな爪痕を残した台風19号が去った10月13日に2年ぶりに水が湧き出した。
 南側から森に入っていくとすぐの場所に、雑草に囲まれ深く掘り下げられたた小さな窪地があって、普段はない水が溜まっている。道路側の崖には土管が口を開けていて、そこからも水が勢いよく流れ出している。これについては後ほど記そう。

 窪地から溢れた水はせせらぎとなって流れ出す。森の中を低いほうへ水が勢いよく流れていく。出水から2週間後、再び台風(21号)が通過した後の10月26日にはさらに水量が増していた。

流れはさいかち窪の一番低くなっているあたりに流れ込んでいく。

窪地の底に流れ着いた水は、ほぼ南北に細長く溜まって池となる。鬱蒼とした木々に囲まれ、静かな水面が広がっている。

 ふだんは雑木林に囲まれた雑草の生える空き地に過ぎない場所が、水が出た時だけは高原の湿地のような幻想的な光景となる。下の写真は2017年12月、湧水が止まり再び干上がった、いわば平時のさいかち窪の様子だ。ひと月ほど経つと池は綺麗さっぱり幻のように消えてしまい、このような元の草むらに戻ってしまう。幻の池といわれる所以だ。

細長く、また木々が邪魔をしてなかなか全体を一度には見渡せないので、動画でもとらえてみた。

 流れ込む水だけではなく、池の底からもあちこちから水が湧き出している。ぷくぷくと音を立てて気泡と共に湧き上がる水が水面に同心円をいくつも描く。

こちらも動画でも見てみよう。次々に水が湧きあがってくる様子がわかるだろうか。

 細長い窪地にいったん池となって溜まった水は、その北端から清冽な小川となって再び流れ出す。さいかち窪の水が現れたとき、ここが黒目川の始まりとなる。

 上の写真は10月13日の出水直後の様子で、過去の出水でもこのように小川のようになっていた。しかし2つ目の台風が過ぎた10月26日にはここまで水没し、池のようになってしまっていた。下の写真、倒れた木が上の写真と同じ場所であることを示しているが、風景が一変している。

 さいかち窪の林から抜け出た流れは、小平霊園の北縁に沿って走る新青梅街道を潜り抜けるため、いったん暗渠の中へと吸い込まれる。新青梅街道の北側から正式な黒目川の流路が始まる。

 この区間も26日には完全に水没し、池のようになっていた。流れを渡る小さな石橋があるのだが、こちらも10㎝ほど水没し、橋の上を水がさらさらと流れていた。

 さいかち窪の全体像を小平霊園の園内案内図で見てみよう。さいかち窪の区域の西寄りに、プラナリアのような形をした、南北に伸びた細長い池が描かれている。南側、尻尾にあたる部分から暗渠へと流れ出している。北側、頭にあたる部分には、南東からの細長い枝状の水路が注いでいる。こちらが最初の方の写真の窪地と流れである。

 さいかち窪にはある時期より、窪地に湧く水の他、小平霊園内の雨水を集める排水管が注ぐようになっている。さいかち窪の出水時は小平霊園内の他の区域で湧き出した水が排水管の継ぎ目やヒビから流れ込み、窪地の底の湧水に加わる。
 当初は小平霊園内の雨水排水経路の1つが繋がれており、降雨の際には敷地の面積の4分の1の雨水や地下水が流入していたが、2005年以降、湧水の復活を視野に、小平霊園の約4分の3へと拡大、更に敷地内の道路舗装を浸透性に切替え、浸透桝も多数設置したという。当初からの排水経路と思われる案内図の枝状の水路(下図の流入地点1)の他に、池の南端、プラナリアの頭のとがっているところにも土管が2つ並んで口を開けているのだが、こちらがおそらく拡大後に追加された雨水排水だろうや(下図の流入地点2)。

 さて、さいかち窪の出水はどのようにして起こるのだろうか。2003年にさいかち窪傍に水位観測井戸(標高66.7m)が設置され、地下水の変動が観測できるようになってからだいぶその様子がわかってきたようだ。「大雨により復活した台地の湧水・地下水についての水文学的考察」(国分邦紀 2005)によると、さいかち窪付近にはローム層の堆積がなく、霊園造成時の盛り土の下には2mほどの黒ボク土層と、1.3mほどの礫混じりの粘土層があり、さらにその下に8mほどの厚さの武蔵野礫層があるという。この武蔵野礫層が帯水しており、その水が飽和すると一時的に被圧状態となって、粘土層を抜け黒ボク土上部に水が湧き出すという。
 この飽和状態は比較的短い期間での累積降水量が一定量を越えた場合に起こるようで、実際には夏から秋にかけての台風や秋雨による大雨がきっかけとなって一気に飽和状態に達するようだ。
 公開されている水位観測井戸(標高66.7m)のデータをグラフ化してみた。出水し、かつその期間がほぼわかっている2008、15、16、17年のデータをみると、いずれも地下水位が-2.6m(標高64.1m=ほぼさいかち窪の標高)に達するタイミングと出水時期が一致しており、まただいたい地下水位が-3.1mを切ったころに出水が止まっていることがわかる。


 また、近くの府中の降水量データを使って、降水量と地下水位、そして出水の関係を探ってみたところ、どうやら120日間の累計降水量が950mmを越えたタイミングで地下水位が-2.6mを越え、出水しているようだ。2018年以降の水位観測データはまだ公表されていないが、出水のなかった2018年は累計降水量が950mmに全然達していないこと、今年の出水タイミングがまさに累計降水量が950mmに達した日であることがわかる。(折れ線グラフが地下水位、塗りつぶしが累計降水量)

さらに地下水位観測データの公開されている2006年以降まで遡ってみても、この関係性が見て取れる。(折れ線グラフが地下水位、塗りつぶしが累計降水量)

 1948年の小平霊園の造成前、黒目川の流れはさいかち窪よりもう少し南西まで伸びており、そこでは常時水が湧いていたという。造成直前の航空写真を見ると、確かに水路らしきラインが見える。ただ、当時の地形図を見ても谷は浅く、それほどの水量はなかったのではないか。この水路と湧水は霊園を造成した際に埋め立てられてなくなってしまい、さいかち窪以北が残ったようだ。
 そして地形を見ると、埋立てられてもなお浅い谷が西武線の南側へと続いていることが見て取れる。かつてはこの谷筋に、青梅街道沿いの雨水や街道の南北に沿って流れる小川用水の余水を落とす悪水堀が通っており、現在も途中まで暗渠が残っている。そして更にそこから向きを変えて青梅街道の北側に並行して、東大和市との境界付近までごく浅い窪地が続いている。これらは「小川の窪」「ぐみ窪」と呼ばれている。こちらには戦後に排水路として「緑川」が開削されている。(詳細は以前記したこちらの記事を参照していただきたい)


 このような窪地は他にもいくつかあって、かつては、大雨の後しばらくして「野水」が出てきた。さいかち窪の原理と同じく、地下の滞水量を上回った水が地表の窪地に出現し、低い方へと流れていたのだ。これらは「武蔵野の逃げ水」として知られていた。さいかち窪に湧く水は、この「逃げ水」の様子を今に残しているといえよう。そして湧水のメカニズムを考えると、さいかち窪は、南側の”さらに上流”があった頃も、今と同様「野水」的な水が湧く場所だったのではないだろうか。
 今回の出水は前後の降水量などを考えるとおそらく11月末までは湧き続けるだろう。次に水が出るのは来年なのか、はたまた数年間が空くのか。毎年秋が来るたびに気になる湧水だ。


住所:東久留米市柳窪
水量:平時は無し。出水時は多い
用途:なし
タイプ:谷頭
湧出地点の標高:64m
水温:19.0度
水系:黒目川
東京都湧水台帳コード:Mu-138