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2019年8月6日火曜日

三十二番:志村の湧水群(7)御手洗不動尊の池と崖下に染み出す湧水

 志村~小豆沢の崖線は小豆沢公園から体育館通りを越えてさらに北東へと続いている。北向きの急斜面の崖は鬱蒼とした森に覆われていて、日中でも少し薄暗いくらいだ。崖の上には小豆沢神社が鎮座している。路面(標高7m)と標高差は20m近くに及び、その標高差に木々の高さが加わった緑の壁が垂直にそそり立つ。

 崖下の道路をしばらく進むと、崖がすこしえぐれたように引っ込んでいる一角があり、道路から一段高くなったところに祠が見える。ここに御手洗の池がある。

 御手洗池は崖上の小豆沢神社に隣接している龍福寺の薬師如来が出現したという伝説を持つ湧水池で、かつては眼病に効く水と言われた。また池のほとりには不動尊があって、江戸中期には一帯の村人が富士講・大山詣の旅立ち前に水垢離をした禊場でもあったという。明治以降その信仰は廃れ、1962年には不動尊は龍福寺に移転、現在も門前の右側にお堂が建っている。一方池の方は近年、地元の有志により崖下の湧水を導水して復元され、金剛不動と聖観音を祀るお堂も新たに建立された。

 こぢんまりとした池に比べ朱塗りの欄干の橋は立派で、ややアンバランスな感じもある。池の水は澄んでいるが、今は水質に問題があり飲用や目に入れることは止めるよう注意書きがある。

 池の西端、陰になったところに湧水の注ぎ口があった。西側の崖下から湧く水を集水して注いでいるといい、その量は毎分2〜3リットルほどだそうだ。暗渠排水管を埋めてあるのだろうか。標高は8mほど。志村の他の湧水と同じくらいの高さで、崖線の斜面に同じ高さで不透水層が続いていることが伺われる。

 崖下には御手洗の池のほかにも、しみ出す程度ではあるが、数か所から水が湧き、路面を濡らしている。神社の境内へと昇る階段左側の桝はその中でも最も水量が多く、御手洗の池と同程度の量も測定されているそうだが、最近何度か訪れた際にはいずれのときも涸れていた。

 こちらは道路との崖の境目に染み出す湧水のひとつ。地味ではあるが、晴れている日でもいつも濡れており、れっきとした湧水だ。

 湧いた水は落ち葉を伝ってぽたぽたと落ち、L字側溝にできた水たまりに波紋を広げる。

 更に百数十メートルほど東へと進むと、崖線の森は下半分が途切れ、擁壁が現れる。

 こちらの擁壁の下にも、水抜きの穴から湧水が出ていて、L字側溝に細長く溜まっている。

 ここがちょっと面白いのは、それぞれの水抜きの穴に、コンクリートで盛った溝が接続され、等間隔で並んでいることだ。溝と溝の間に水が溜まってしまったりもしていて、あまり用をなしてはいないが、溝を作った当時は溝で導水しないと収拾が付かなくなるくらいには水量があって、崖に垂直に流れる幾筋もの水流が見られたのだろう。

 現在ではぱっと見単に水が溜まっているだけに見えるような箇所も多いが、じっとみていると水に動きがあってちょろちょろと流れ出しているのがわかる。

 ここからさらに東に進み北区内に入ると、袋小学校の校庭に湧水を利用したビオトープがある。通常は敷地内に入れないので柵越しに覗くことになるが、見る限り水量はそれなりにありそうだ。志村の崖線の湧水群としては他に見次公園などもあるがいったんはここまでにして、次回から別の場所へと移ろう。



住所:板橋区小豆沢4
水量:御手洗不動尊:少ない ほか:滲み出る程度
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;不明 
水系:新河岸川
東京都湧水台帳コード:Na-12(御手洗不動尊)Na-46(小豆沢神社階段下)

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年7月29日月曜日

三十一番;志村の湧水群(6)小豆沢公園東側、崖下の湧水と暗渠の湧水

 前回から続いて、小豆沢公園崖下の湧水を見ていこう。公園西側の崖の中腹で湧いた水は、斜面を東へとなだらかに下る、林の中の人工的な水路を流れていく。

 崖下まで降りてきた水は、公園東端のやや大きめの池に流れ込む。写真は晩秋の様子。広葉樹に囲まれた池には落ち葉が沈み、紅葉が映える。

 こちらは今年の6月、池の下流方向からの眺め。緑が鮮やかだ。今年は湧水量が少ないせいか、池に溜まる水はやや濁っている。

 この池には水路から流れ込む水の他、2箇所の湧水が流れ込んでいる。ひとつは背後の崖の下から。

 この辺りの崖線は下部が石積みの擁壁で覆われているのだが、湧水はその裾の地面との境目、コンクリートで保護された塩ビ管から流れ出している。

 水量は絶え間なく流れ出しており、小豆沢公園の敷地内の湧水ではここが一番水量が多そうだ。板橋区の調査では毎分15リットルほどとなっているが、この夏は昨年秋冬の少雨の影響かそれよりは少なそうだ。水温は18.1度と、西側の湧水より少しだけ低かった。

 かつては台地上に立ち並ぶ工場の影響で地下水汚染が発生していたようだが、今はどうなのだろうか。動画で池に流れ込むまでの様子を追ってみた。

 この湧水口は秋には落ち葉に埋まり、その中から水が湧き出しているようにも見え、なかなか素敵な風景になる。

 さて、池の東端まで行くと、公園と住宅地の境目にコンクリート蓋掛けの水路が通っている。道路に面した鉄板の蓋が印象的だが、これは小豆沢の崖線に深く食い込んだ井戸谷津、とも呼ばれる谷に流れる水路だ。そして、この中には谷で湧いた水が流れており、ちょうど鉄板の蓋があるところの中に堰があって、導水管でその水を池に引いている。こちらが池のもう一つの水源だ。
 池に流れ込む量は板橋区調査によれば毎分8〜13リットル、そして堰をあふれた水は下水に流れ込む仕組みになっているのだが、少し前まではいつも堰を落ちる水が轟々と音をたてていたから、調査の水量よりも更に多かったのだろう。
しかし、今年になって何度かこの場所を訪れたが、いずれのときも水音はしなくなっていて、蓋の柵から中を覗いても水の気配がない。思い当たるのは、数年前から井戸谷津の谷にあった屋外プールを室内プールに改築する工事が始まり、2019年に立派な建物がオープンしていることだ。もしかして、建物の工事により水脈が途絶えてしまったのだろうか。そうだとすれば大変残念な話だ。湧水量の増える秋にもう一度状況を確認したいところだ。

住所:板橋区小豆沢3
水量:崖下:普通 暗渠:枯渇か?
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;9m
水温;18.1度 (2019年6月) 
水系:新河岸川
東京都湧水台帳コード:Na-45

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年7月26日金曜日

三十番:志村の湧水群(5)小豆沢公園西側に滲み出る湧水たち

 清水坂公園の湧水から、中山道を渡って東側の小豆沢へと移る。1889年から1947年までは志村小豆沢となっており、こちらも広い意味で志村地区といえるだろう。小豆沢という地名は、崩壊地を示す地名「アズ」「アザ」に由来しており、同じような成り立ちの地名として麻布などがあげられる。江戸時に記された新編武蔵風土記稿の中では、平将門が東国を支配していた頃、崖下の低地が荒川の入り江になっていて、小豆を積んだ船がそこで沈み水面に小豆が浮かんだから、といった由来が記されているというが、これは後付けだろう。
 中山道沿いには復元され庭園となった「薬師の泉」があるが、今回は飛ばしてその先、小豆沢公園へと向かう。小豆沢公園は台地の上下に跨って広がっており、敷地を東西に横切る崖線の斜面には緑が多く残っている。そして崖線の下には湧水が何か所か残っている。

 公園の崖下を抜ける道に覆いかぶさるように、木々が茂っている。崖の上の台地は標高24m、一方崖下の路上は標高7mほど。実に17mの標高差の斜面となっている。

 そして公園の手前からすでに、路上に数か所、水が染み出している。こちらは道路沿いの寺院。いつ来ても斜面を掘り抜いたようなガレージの奥から水が染み出して歩道のL型側溝に流れ込んでいる。溝が造られていることからも、常時流れていることがわかる。

 湧水が多くなる秋には、少し離れたL型側溝の継ぎ目からも水がとくとくと漏れ出すように湧く。

 公園の敷地前まで来ると、崖の斜面から流れ落ちてきた水が、擁壁を濡らしている。広がってしまっているので流れる水がはっきりと見えるわけではないが、路肩には水が溜まっていて、一定の水量があることが伺える。ここもいつも濡れており、常時水が湧いている場所だ。

上を見上げると、水はむき出しの崖線の斜面を微かではあるが流れをなして下って来ている。

 草の枯れる冬場に擁壁の上の斜面に踏み入ってみると、斜面中腹から地面にごく浅い溝ができていて、水がじわじわと湧き出してそこを流れているのがわかる。水量は極めて少ないが、これは小川の源流ともいってもよいような風景だ。

すぐ先には崖の斜面を台地上に斜めに上がっていく階段が続いている。鬱蒼とした緑に囲まれたこの階段沿いにもいくつか湧水がある。

まずは階段右側の側溝。こちらに流れている水も湧水だ。水源を辿ると途中のパイプから流れ出している。水温は18.8度。板橋区の調査では毎分2〜6リットルほどの水量が記録されている。

そして階段を中段まで登ると、右側に整備された小さな池がある。この池には左右2か所から湧水が流れ込んでいる。湧水地点はいずれも石組みで囲まれ整備されている。多い時期には2つあわせて毎分20リットルほど湧いていることもあるようだ。

こちらは西側、階段寄りの湧水地点。6月の水温は18.6度。今年の水量は少なく、湧き出す動きは目に見えないが、それでも水温は一定だ。

こちらは東側の湧水地点。水量は少ない。ここから少し奥にはいったところが先ほどの斜面から湧く微かな湧水地点だ。

 池に溜まった湧水は導水管で階段を潜り、崖の斜面を水路で東へと下りながら流れていく。この先にも湧水があるが、写真の枚数が多くなったので次の記事に分けて掲載する。


住所:板橋区小豆沢3
水量:崖線斜面:滲み出る程度 側溝:少ない 池の湧水地点:少ない
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;路肩、側溝:7m 崖線斜面・池の湧水地点:10m
水温;側溝:18.8度 池の湧水地点:18.6度 (2019年6月) 
水系:新河岸川
東京都湧水台帳コード:Na-14, 15

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年7月11日木曜日

二十九番:志村の湧水群(4)志村清水坂下、わさび田湧水の痕跡

 取り残された金魚池からさらに東に進むと、旧中山道が志村の崖線を下る「清水坂」に出る。下の写真の右側も、左側もあわせた一続きの坂だ。現在の中山道=国道17号線は、崖線を切り通しにして直線で下っているが、こちらは急な崖を緩やかに上り下りできるようW字に屈折して通っている。坂の途中には清水坂の石碑と説明版がある。中山道が日本橋を出て最初の難所と言われていたという。
 坂の名は今は国道17号線に面している大善寺の「清水薬師如来」に由来する。八代将軍吉宗が大善寺で鷹狩の帰りに坂の近くにある大善寺で休憩した際、境内の崖に湧くの水の美しさに、寺の本尊である薬師如来を清水薬師と命名したという。このことから近くを通る中山道の坂も清水坂と呼ばれるようになった。

 この清水坂を下りきる手前、都営三田線が地上に姿を現す地点のすぐそばに「志村清水坂緑地」がある。かつてはちょうど、坂を上り下りする人を相手にした茶屋があった場所だという。

 緑地の隅の壁泉からは水がぽたぽた落ちる。こちらが今も見られる湧水だ。水量が少ないため、水草が繁殖していてあまり見かけはきれいではない。裏手のアパートの敷地内に湧く水を導水してきているという。

 壁泉の前の小池には、サカマキガイらしき巻貝がたくさんいた。

 この壁泉、よく書籍やブログに清水坂の湧水として紹介されているが、当初、この公園の湧水のメインはここではなかった。三角形の敷地の奥まで入り込むと、井戸のような円筒形の構造物があり、前からは水が出るような構造になっていて、手前にはうっすらと幅広の浅い溝もみえる。ただ、水の気配は全くない。

 実は1989年の開園当初は、ここから水が流れ出て、ワサビ田を潤し、壁泉の前までせせらぎとなっていたのだった。開園直前、志村二丁目児童遊園と仮称されていた頃の計画図面をみてみよう。

 図面にパーゴラと記されている藤棚らしき構造物は今でも残っている。しかしその下のワサビ田は砂で埋められていて跡形もない。

 段差の下へと流れ落ちる注ぎ口は痕跡をとどめていたが、馬の水飲みとなっているところは植え込みに変えられていた。段差の下から壁泉へと続く水路も埋まっている。いつ頃ワサビ田がなくなり水が止まったのは定かではないが、井戸から壁泉までの水路は5年ほど前までは水の流れない状態で残っていた。

 井戸から流れ出ていた水は涸れてしまったのか、というとそうではなく、実際には今も湧き続けている。公園の北側、都営三田線の高架の反対側、写真の左下、柵の陰になっている、矩形のコンクリート蓋の雨水桝の中がその水源だ。

 蓋の隙間から、なみなみとした水が見える。以前はここに集めた湧水を右側に続いている高架脇の溝渠で公園側の貯水桝へと導き、そこからポンプアップして井戸から流れ出させていたのだという。現在は手前下側の、道路側溝の雨水桝へと落ちている。

 側溝の雨水桝の中を覗き込むと、きれいな水が管から音を立てて流れ落ちているのが見えた。

 こちらの湧水量は、多い時期で毎分20リットルに及ぶという。地下で湧き、そのまま地下に落ちてしまうのは実に勿体ない。ポンプは壊れてしまったのか、予算がないのか。わさび田復活は無理としてもせめて壁泉に導水するだけで、だいぶ景観がかわってくるように思うのだが。今の壁泉のままではちょっとがっかり湧水スポットだ。


住所:板橋区志村2
水量:壁泉:わずか 雨水桝:ふつう
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;壁泉:20.5度(2019年6月) 雨水桝:不明
水系:出井川
東京都湧水台帳コード:Na-43
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年7月8日月曜日

二十八番:志村の湧水群(3)取り残された金魚池

 志村城山公園から志村の崖線を東へと進んでいこう。前々回取り上げた自噴井を通り過ぎ、しばらく行くと、道路が崖線を斜めに上がっていく袂に広めの駐車場がある。

 駐車場の入り口付近の角に、低いブロック塀で囲まれた不自然な敷地がある。その大部分は崖の斜面にかかっていて、緑のシートで覆われているが、崖下の一画は草が生い茂っている。ここに湧水がある。

夏場は完全に雑草に覆われていて、何が何だかわからないが・・・

雑草の勢いがなくなる秋から冬にかけては、草の隙間からちらほらと水面が見える。

さらに近づくとレンガで縁取りされた矩形の小さな池があるのがわかる。

 ブロック塀に邪魔されてこれ以上は近づけないが、水は澄んでいて、中には真っ赤な和金が数匹泳いでいる。こちらが動くと草の陰に隠れてしまう。人から餌を貰っている金魚なら近づいてきたりするものだが、こんな環境だからまったく人馴れしていないのだろう。

 この池はいつ来ても水が一定量溜まっていて、まったく濁ることもないから、今でもどこかから水が湧き出していて、そしてどこかへと流れ出しているのだろう。標高は8m前後と、これまでみてきた2箇所とほぼ同じだ。
 1990年代半ばに板橋区が外部に委託した湧水調査に、この池が記録されている。そこでは池はとある個人宅の所有となっている。そう、かつてここには家が建っていた。家は斜面を降り切ったところにあり、上の道路に面した門から出入りしていたようだ。そして、その庭先にこの池があったのだ。下は1989年の航空写真。緑に囲まれて家が建っている。
出典:国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより1989/11/3撮影写真

 2000年代初頭にはこの家は取り壊されてしまった。その後、建屋のあった場所は隣接する駐車場に取り込まれたが、庭の部分は斜面にかかっていて利用できないためか、放置された。そして池もそのまま残った。下は2007年の航空写真となる。
出典:国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより2007/4/30撮影写真

 さて、金魚だ。家がなくなってからすでに15年以上が経つ。この金魚たちはどこからやってきたのだろうか。誰かが縁日の金魚でも放ったのか。ただ、ブロック塀の囲いを越えてまでそんなことをする人がいるとは思えない。とすると、かつての住人が飼っていた金魚が生き永らえているのか。その割には小柄だから、この池で生まれた子孫なのかもしれない。誰にも見られることのない観賞魚の一族が代々暮らしている、そう考えるとなかなか趣深い湧水池である。


 なお、この近隣には敷地内に湧水のある家が数軒あるようだが、いずれも塀や生垣に囲われていて外から確認することはできない。

住所:板橋区志村2
水量:不明
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;不明
水系:出井川
東京都湧水台帳コード:なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工