2019年5月29日水曜日

二十二番:三田の大信寺に残る非公開の2段湧水池

 しばらく追ってきた目黒台の湧水を離れ、港区の高輪・三田地区へと移ろう。この地域には淀橋台の末端である高輪台地~三田段丘とも呼ばれる台地が、南西から北東に向かって、細長く岬のように突き出している。かつてはその尾根の上を三田上水が通り、台地の崖には各地で水が湧き、東側は東京湾に、西側は古川へと注いでいた。今では水の気配は希薄になっているが、それでも台地の縁にあるいくつかの寺社の片隅には、湧水やその水を溜めた池が残っている。多くは非公開となっているのだが、縁あって何か所か、見学させていただくことができた。その中のひとつ、大信寺の湧水池をご紹介しよう。

 大信寺は魚籃坂の麓近くにある、1611年に創建され1635年にこの地へ移転してきた浄土宗の寺院だ。

 江戸三味線製作の始祖石村源左衛門をはじめとする石村家の菩提寺となっていて、三味線寺として知られる。本堂の左手、桜の巨木の陰には石村近江顕彰碑が建っている。

 港区の調査資料や都の湧水台帳の情報をもとに訪れてみたのだが、湧水はどうやら本堂の裏手にあるようで、見ることができない。うろうろしていると、たまたまいらしたご住職にお声がけいただいた。湧水は裏手の庭にある池に今でも湧いているが公開はしていない、とのことだったが、いろいろとお話ししているうちに、特別に見せていただけることになった。

 勝手口のようなところから庭へと入れていただく。庭は庫裏に面していて、台地の斜面の下に、北東から南東にかけて広がっている。よく手入れされている明るい庭で、それほど広くはないが背後の斜面をうまく使っていて奥行きを感じさせる。
 池は低地と、斜面の途中の2段に分かれていた。下の段の池は標高は12mほど。底から湧水がにじみ出しているらしいという。水は濁っており、このところの少雨であまり湧いていないようだ。

 池の端の小さな石橋を渡って斜面を少し上ると、上の段の池があった。標高14mほどだろうか。こちらは水嵩こそ浅いものの澄んだ水が溜まっている。崖下に配された岩の下などからじわじわと湧いているようだ。

 池の北東の端には井戸もあった。中を見せていただくと、池と同じくらいの水面に澄んだ水が溜まっていた。少雨で水はいつもよりは少ないという。

 上の段の池全景。背後の崖線の緑が美しい。最近手入れしたというこの崖には亀がたくさん住んでいて、もう少し(訪問は3月)すると冬眠から覚めて池に入るという。

 寺の外にでれば、桜田通り沿いには高層マンション群が立ち並び、車がひっきりなしに行き交う。魚籃坂から伊皿子坂にかけては90年代まで他にも何か所か湧水があったが、いずれもビルの建設などで姿を消している。そんな中で、この湧水がまだ何とか涸れずにいるのは奇跡的かもしれない。

 ちなみに今回ご厚意をいただいたご住職は非常に多才な方で、三味線寺ということで三味線ももちろんだが、更に雅楽、長唄からイタリア歌曲までこなされるといい、面白いエピソードをたくさん伺った。さらにパイロットの免許もお持ちで、東日本大震災の後は飛行機をチャーターして海上から散華をされたという。なんだかんだと3、40分、お庭を拝見しつつお話しを伺い、長居してしまった。

住所:港区三田4
水量:わずか
用途:池
立地:淀橋台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;12m、14m
水温;不明
水系:古川
東京都湧水台帳コード:Yo-6
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年5月25日土曜日

二十一番:桐ヶ谷氷川神社 氷川の懸泉はいま…

 東急目黒線の不動前駅から、目黒不動とは反対側(南東)に向かってしばらく歩いていくと、右手に桐ケ谷氷川神社の参道が見えてくる。江戸時代初期の創立と推定される、かつての桐ケ谷村の鎮守社で、拝殿・本殿は参道奥の目黒台の崖上に鎮座している。

 境内の崖からはかつて豊富に水が湧いていた。おそらくそういう場所だからこそ氷川神社となったのだろう。江戸時代末期の1851(嘉永四)年には、村人により湧水を利用した滝が整備された。滝は「氷川の懸泉」と呼ばれ、雌雄2筋の滝が4.5mほどの崖を落ちていたという。滝は江戸七瀑布の一つとして数えられ(現存するのは目黒不動の独鈷の滝と等々力不動の滝、王子名主の滝(揚水))、明治時代にかけて涼を求める人々でにぎわったという。
 滝の水量は徐々に減っていったようだが、1960年代の写真ではなお石樋から水が落ち、子供たちが遊ぶ様子が見られる。
(品川区サイトより)https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/photo/?id=pv&pn=146
 参道をまっすぐ進むと、台地に上る階段に行き着く。境内は1989年に大規模に改修整備されていて、先のリンク先にみられるような崖の斜面の風景は全く残っていない。

 階段の左手には、石樋とそれをうける水鉢がある。しかし、残念ながら全く水は流れておらず、水鉢に雨水が溜まっているだけだった。石樋は昭和30年代の写真に写っている樋と同じものだ。1987年に撮影された写真でも、樋をざぶざぶと流れ落ちる水が写っており、同年にはしながわ百景「氷川神社とわき水」として指定されている。かつては隣の安楽寺の池にも水を引いていたというから、それだけ水量が多かったのだろう。けれども今は水の気配すらない、悲しい状況だ。

 一方階段の右手には池があって、その奥には崖下に巨石を積み上げた滝が見える。こちらは1989年、境内整備を行った際に、涸れかかっていた湧水の水量が急に復活したため、滝を修復してあらたに「氷川の滝」と名付けたものだという。

池の標高は11mほど、台地上の神社は18mで、中腹に設けられた滝の高さは15mくらいだろうか。見上げると落ち口は二つあって、左側の石樋の方は品川区サイトの1960年代の写真で右側に写っているのと同じもののようだ。滝壺はほんのり濡れていて、見上げるとポタポタと水が落ちてきている。

ズームアップして見てみる。とても滝とは言えないが、辛うじてそのアイデンテティを保っている水滴が、断続的に落下している。

階段を登り切ると、拝殿の手前に手水舎がある。屋根の柱には「この湧き水は飲めません」と標識が出ている。おやおや…?

 近寄ると青竜の吐水口から水が流れ落ちている。その量は滝よりもむしろ多いくらいだ。しかし、触ってみるとややぬるく感じられる。水温を測ってみたところ21.5度と、やはり湧水にしてはちょっと高い。どこか不自然だ。

 さらに裏手の水道の蛇口脇にも湧水につき飲用不適との表示があった。ただ、蛇口の取っ手は外されており、今は水は出ないようだ。
 
 どうにも気になり、真相を確かめるべく、社務所に尋ねてみた。奥様らしき方が丁寧に対応してくださったお話によると、
以前は湧水の水量が多く、手水舎にも蛇口の水にも使っていたが、最近は水量がめっきり減ってしまい、実は水道水に切り替えているとのことだった。そして、なんと滝の水も、今は水道水を少しずつ流しているのだという。雨が多く降った後は、今でも湧き出すのですけどね、せっかく来ていただいたのにすみませんね、と、申し訳なさそうだった。
 ただ、滝の崖下、岩の隙間からは、量は少ないけれど今でも水が湧き出しているという。こちらは正真正銘の湧水で、水量の増減はあっても涸れることはないという。

 お礼をお伝えしおいとました後、再度、滝のそばまで確認しに行ってみることにした。階段の途中から池を見下ろすと、確かに滝のある崖の左側、コンクリートのガレージとの境目から、水が流れ出して池に注いでいるようだ。

 岩陰から流れ出す水は、滝の水滴からの水より多い。そばの雨水桝の格子の中からも水音が響いており、地中の水位が下がって水の大半が雨水桝の中に湧き出すようになっているのかもしれない。

湧き出し口のアップ。ほんとうにささやかな湧水ではあるけど、その水は澄んでいて、生き生きと湧き出している。

 水温を測ってみると18.6度と、目黒不動などの水温よりはやや高いが、手水舎の水道水よりは3度も低い。やはり本物の湧水だけあっって、気温変動の影響を受けていないようだ。

僅かではあるけど、滾々と流れ出し、池にちょろちょろと流れ込んでいる水の様子に少し救われた気分になって、しばしその流れを見つめ、「氷川の懸泉」に想いを馳せた。


住所:品川区西五反田5
水量:わずか
用途:滝、池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;11m
水温;18.6度
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-14
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年5月18日土曜日

二十番:目黒不動の独鈷の滝。その水源は…

 羅漢寺川跡沿いの湧水、蟠龍寺の湧水池に続いては、東京の名湧水57選に選定されており、広く知られている目黒不動の湧水を訪ねてみよう。
 「目黒不動尊」として知られる 瀧泉寺(りゅうせんじ)は、808(大同3)年の創建と伝わる、関東最古の不動霊場とされる天台宗の寺院だ。開基の際、慈覚大師が地面に独鈷を投じたところ、泉が忽ち湧き出したとの伝説が伝わり、これが寺院の名前の由来になっている。 江戸時代には徳川家光の帰依を受け、大変なにぎわいを見せる行楽地となった。目赤、目白、目黄、目青不動とあわせた江戸五色不動のひとつでもある。
 境内は目黒台とその下の低地にまたがって広がっており中ほどを崖線が東西に横切っている。低地側にはかつて、門前を羅漢寺川が流れていた。崖上の標高は19m、崖下の低地は10mなので、その標高差は9mほどとなる。台地の上にある本堂に向かってその斜面を男坂と呼ばれる石段が上っているが、その左手に、独鈷によって生じた泉の水を引いたとされる、その名も「独鈷の滝」が懸っている。こちらが目指す湧水だ。

 斜面の上部は土が露出していて、木々の下には石像が並んでいる。その下部を石垣が覆い、そこに設けられた2つの竜の吐水口から湧水が滝となって落ちる。滝の水は「龍御神水」と呼ばれ「開山以来、千百有余年涸れずに流れる霊水」とうたわれている。
 吐水口の標高は13mほどと、羅漢寺川沿いの湧水とほぼ同じ高さ。あちらでは地面に近い位置だったが、ここでは3m弱ほどの落差があり、それだけ羅漢寺川の流れる低地が下ってきているということだ。どちらも水を通しにくい東京層の地層が擁壁や石垣の裏側で露出し、その上から湧水が流れ出していると思われる。
 滝壺の池はそれほど深くはなく、底には石が敷いてあり、かつては不動行者の水垢離の場となっていた。 江戸時代の浮世絵でも、現在とほぼ変わらない、石垣を二筋の滝が落ちる風景や、滝を浴びる人の姿が確認できる。

 2つの竜のうち、左側の方は周囲の石垣の隙間からも水が漏れている。

 今では水垢離はできないが、代わりとして1996年に「水かけ不動明王」が建てられた。(1枚目写真に写る像)。滝の水をひいた水鉢の水をこちらに掛けることで、身代わりに滝泉に打たれてくれるそうだ。

 池の傍らには、青竜大権現を祀る垢離堂がある。90年代半ば頃までは、左側の竜の吐水口の下から石垣沿いに垢離堂前まで樋が懸っていて、そこに水を汲みにくる人の姿がよく見られた。現在は樋は外され、垢離堂の前も柵がされて、立ち入れないようになっている。

他にも境内各所に水が引かれていて、水の名所であることを印象付ける。こちらは垢離堂前の水鉢。

垢離堂の奥には江戸時代に建てられた前不動堂があり、その前にも割と新しい、小さな竜の吐水口がしつらえてあった。

正面の男坂の石段の右手には、緩やかな女坂の石段があり、その側面でも鯱のような石像の口から湧水が流れ落ちる。

 山門の左手、バス通りを挟んだ区画には三福堂の池がある。こちらの水は濁っており、直接水が湧いているわけではなさそうだ。池のほとりのお堂には恵比寿様・弁財天・大黒天が祀られており、その中で「山手七福神」としては恵比寿様の参拝先の役目をもっている。

 三福堂前には「金明湧水 福銭洗い」があるが、水鉢は茶色に変色しており匂いを嗅いで見ると鉄臭い。崖線の湧水とは別の、鉄分が高い地下水をくみ上げて流しているのだろう。

 ほかにも、見ることはできないが、庭園や阿弥陀堂裏手の池などがあるようだ。いくつかの水は集められて水路をなし、羅漢寺川暗渠の近くまで流れている。かつては川に注いでいたのだろう。

 このように、目黒不動尊境内は各所に水がフィーチャーされている。都内でここまで水を前面に出している寺社は、ほかには深大寺くらいだろうか。ただ、深大寺の方は周囲に緑も多く、各所で自然に水が湧いているのに対して、こちらは周囲には家々が密集していて、緑があるのは崖線上部の境内くらいだ。確かにすぐ近くの同じ崖線にある羅漢寺川沿いの湧水(前々回)は比較的水量が多いが、これだけの水を果たして賄えるのだろうか。
 少し気になっていたのが、3月に訪れたとき、独鈷の滝の水が間欠的に流れ落ちていたことだ。自然の湧水そのままが流れ落ちていれば、このようなことは起きないはずだ。一方このとき、滝壺の池の水位はいつもより低くなっており、4月、5月に再訪したときは水かさは増していた。これは季節や天候による地下水の水量変動が現れているということだ。真相を知るべくお寺の方に伺ったが、詳しくない方だったのか、それとも喋りたくないのか、要領を得ないお答えだった。

 いったんはそれで終わったのだが、どうにも気になったので、再再訪して滝の周囲をよく見て回った。すると、滝の脇、小高く奥まった場所にある前不動堂の傍の崖下に、コンクリートブロックで囲われた小さな小屋を見つけた。

 近づいて見ると、水が流れ落ちる音がする。そして隙間から覗き込むと浅井戸用のポンプ「New Kegon」のラベルが見えた。どうもここから、前不動堂前と垢離堂前に導水しているようだ。数メートル東は独鈷の滝の滝壺となっていて、そちらにも送水している可能性もありそうだ。

 小高くなった敷地から垢離堂の裏側を見下ろすと、そこからはじわじわと水が湧き出していて、パイプと溝を使って独鈷の滝の滝壺へと流されていた。この一角で今でも水が湧いていること自体は間違いなさそうだ。

 さて、考えてみる。ポンプの標高は独鈷の滝とほぼ同じということは、地下水の水脈は滝と同じか、もしくはそもそもこちらが水源だったということか。烏森稲荷神社の手水鉢のように、離れたところで湧く水を導水して落とす、というのはわりとよくある事例だ。次にこのポンプは湧水を単に分配送水するためなのか、それともある程度井戸のように掘り下げて。汲み上げているのか。3月のときに間欠的に水が落ちていたということは、少なくとも一旦水は溜まっているのだろう。また、5月に改めて訪れた際はモーター音は聞こえなかったことから推測すると、湧水は自噴井戸となっていて普段はオーバーフローで流れ出していて、水位が低くなった時にだけ稼働して汲み上げているのかもしれない。いずれにしても、「開山以来、千百有余年涸れずに流れる霊水」は、その水脈は確かに変わっていないようだが、地上への水の流れ出し方はおそらくかつてとは変わっていそうだ。

 今回あらためて、目黒不動の湧水に関する古今の資料をひととおり漁ってみたが、これだけ有名にもかかわらず、その水そのものについて、詳細にまでふれているものは見当たらなかった。それは誰も特に興味を持たなかったからなのか、それとも何らかの意図で触れられてこなかったからなのか。不動尊の縁起にかかわる、いわばアイデンティの根幹をなす水、それ今も湧き続けているのは素晴らしいことだが、いまひとつ、もやっとした思いが残ったままとなった。


住所:目黒区下目黒3
水量:多い
用途:滝、手水、池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;14m
水温;16.2度
水系:目黒川(羅漢寺川)
東京都湧水台帳コード:Me-10
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年5月12日日曜日

十九番:蟠龍寺、目黒七福神弁財天の池

 前回は羅漢寺川跡に面した湧水を3か所訪ねた。川跡に面してもう1か所、有名な目黒不動の湧水があるのだが、その前に近くの別の湧水池を訪ねてみよう。目黒台の岬状の部分を挟んで反対側、目黒川側の斜面の下に位置している、蟠龍寺の池だ。

 蟠龍寺は、17世紀に開創された浄土宗の寺で、境内には東京近郊では最古の七福神巡りである「山手七福神」のひとつとなる弁財天も祀られている。弁財天といえば芸能の神様としても信仰されているが、こちらの境内には音楽スタジオ「蟠龍寺スタジオ」があって、自主製作レーベルのVentainレコードも運営されている。なかなかユニークなお寺さんである。
 山手通りに面した山門から続く参道を入り数分進むと、突きあたりに木々に囲まれた本堂が見えてくる。

 そして、本堂の前に広がる庭園の中央に、南北に瓢箪のような形をした池が横たわっている。池の姿は江戸名所図会でも確認でき、古くからあったことがうかがわれる。手入れされた木々や植え込みに囲まれ、一度に見渡すことはできないが、その分複雑で趣き深い景観を見せる。下の写真は本堂から池を見下ろした風景。右手前から左奥に池が広がり、中央、植え込みに隠れているところで池がくびれていて石橋が架かっている。

 石橋は3枚の石を渡し、アーチ状になっている。かなり古そうだ。橋を渡ってすぐが本堂の正面となる。

 池は十分に水をたたえてはいるものの、やや濁っている。水の出所を探ると、石橋の南側で竹筒から水が落ちていた。庭園の風景に調和しており、どこからか引いてきた湧水っぽくもある。

 一方池の北側では木に蛇のように巻き付いたビニールホースから水が落ちていてちょっと不思議な感じだ。いずれも水量は少なく、また池の水はやや濁っていて、水の入れ替わりはあまりなさそうな雰囲気だ。

 池は東京都の湧水台帳でも以前は管理番号がつけられリストアップされていたので、湧水があったことは間違いない。現在はどうなっているのか、お寺の方に尋ねてみた。
 かつては池から水が湧いていたが、街の舗装化の進行でその量は減っていき、山手通りの下を通る首都高速中央環状線の工事が始まった頃(2005年頃)からは、自然に湧く水はほとんどなくなってしまったとのことだった。そして、現在竹筒とホースから落ちている水はいずれも汲み上げた井戸水を流しているそうだ。
 池の標高は12mほどと、目黒台の他の湧水よりやや低いくらい。台地を挟んだ反対側、羅漢寺川に面した崖には今でも水が湧いているのとは対照的だ。環境のほか、地下の水みちの向きなども関係しているのだろうか。羅漢寺川の谷戸の間に小さな微低地を挟んでいるから、違う水みちなのか。雨の少ない時期には汲み上げ井戸の水も涸れてしまうことがあり、そのようなときには水道の水を足すこともあるという。ということは井戸は浅井戸で、湧き水と同じ水脈なのだろう。地下水位の低下で、地上に湧き出す水がほとんどなくなり、渇水時にはさらに水位が下がって井戸の底にもでなくなる、ということだ。
 前の写真のホースの背後、本堂の右手にあるのが弁天堂で、少し小高くなったところに木彫りの弁財天が祀られている。そして、その背後の目黒台の崖の擁壁をくりぬいた穴には岩窟弁財天の祠もあって、こちらには中に入ると石像の弁天像が祀られている。やはり水の湧くところ故、なのだろう。

 池の北端には「おしろい地蔵」も祀られていて、お参りした方にファンデーションや口紅を塗られている。広くはないが趣があり、見所の多い蟠龍寺、再び地下水位があがって、弁天様に護られた池に湧水がまたいつの日か復活することを願う。

住所:目黒区下目黒3
水量:ほぼ枯渇
用途:池
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;12m
水温;ー
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-11

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工