目黒台に深い谷を刻む、羅漢寺川と呼ばれる目黒川の支流。その名は下流部にある羅漢寺に因むが、羅漢寺がこの地に来たのは明治時代で、それ以前は同じく流域にある目黒不動にちなみ不動川などとも呼ばれていた。3つの支流を合わせ、豊富な湧水の流れる川沿いには谷戸田が広がっており、明治以降は3つの池を備えた遊園「苔香園」や釣り堀池などもあった。
現在川は暗渠化されてしまったが、今もどこか水の気配を残している。支流のひとつ入谷川沿いは特にそれが濃厚だ。入谷川は油面の交差点付近に流れを発し南下、羅漢寺川と林試の森公園の北側で出会った後向きを変え、目黒不動の境内まで平行して東に流れ、そこで合流していた。2つの流れの間は水田で、前者は谷戸の北側の、後者は谷戸の南側の崖下に沿っている。
入谷川跡の湧水
入谷川跡沿いとなる谷戸北側の崖の擁壁は苔で覆われ、蔦が這う。川面を塞いだ路面のアスファルトはだいぶぼろぼろで、継ぎ目からは雑草が生える。水面を封じ込めてもなお、そこに水が潜んでいることを感じさせる風景であるが、その一角には今で水が湧いている場所がある。知る人の間では非常によく知られている、というと変な言い方ではあるが、一部では有名な湧水だ。
擁壁から突き出すパイプから、じょぼじょぼと水が流れ落ち、水鉢に注ぐ。家々が背を向け、人通りもほとんどない路地の静寂に、その音は響きわたる。
水温は17度ちょうど。湧きたて新鮮の温度である。水量には季節変動はあるものの常に勢いがあり、このまま下水に落ちていくのが勿体無いくらいだ。夏の暑い時期になるとパイプの周りに藻が生えていたりもするので、水質はあまり良くはないのかもしれないが、川があり、水が満ちていた頃の記憶を残すこの湧水はいつまでも残っていてほしい。
塞がれた湧水
さて、川跡を少し下って振り返ってみる。水色の街灯柱が立っているあたりがさきほどの湧水だが、このあたりの崖側でも、水が湧いている(いた)場所がある。
大谷石の護岸の下部に、コンクリートと瓦礫で塞ぎかけた穴が空いている。2015年の秋に訪れた時、この中から、水の音が鳴り響いているのに気づいた。
中を覗くと、陶器の樋のようなところから水が落ちるのが見えた。多分そのまま汚水枡に落ちてしまっているのだが、かつて川が流れていた頃は、水面に注ぎ落ちていたのだろう。川の暗渠化に伴って、川と同じく水面を塞がれてしまった湧水はそれでも密かに、健気に水音を響かせていた。
しかしこの水は、今年2019年の春先に訪れた時には涸れていた。この春の少雨の影響で一時的に止まっているのか、それとももう涸れてしまったのか。またその水音を聞きたい。
三折坂の湧水
さらに川跡を下っていくと、目黒不動の敷地に突き当たる。その手前、北側の目黒台から坂道が下って来ている。坂の名前は三折坂(みおりざか)。坂がS字状に3回曲がっているのがその名の由来だというが、坂を下って目黒不動に参拝することからついた「御降坂」を由来とする説もあるそうだ。
この三折坂の下のマンションの玄関前に、3段式の池のような設備がある。植え込みと一体化していてあまり目立たないがこれも湧水だ。
こちらは以前この地にあった民家の庭先に湧き、生活用水に使っていた水をそのまま生かして、親水施設にしたという。1998年の調査では1分あたり20リットルとかなりの水量が記録されている(だからこそ埋め立てたりできなかったのかもしれない)。本来は各段に流れ落ちるのだろうが、訪れた時期は水量が少なく、最上段にだけ水が溜まっていた。ただ、設備と路面の隙間にも水が染み出していて、綺麗に整えた設備の綻びはいかにも湧水らしい。
最上段の水の中には、石臼が置かれていた。特に注意書きなどがあるわけではないので、マンションの住民でもこれが湧水であることを知る人は少ないのかもしれない。全体のデザインの中で違和感を放つこの石臼は、設計者がここが湧水であることをささやかに主張するために置いたのかもしれない。水は静かだが澄んでいて、水温を計ると17.6度と羅漢寺川の湧水と同じくらいだった。2つの水はだいぶ姿は違っているけど、同じ水みちを辿ってきているのだろう。
【入谷川跡】
住所:目黒区下目黒4
水量:普通
用途:なし
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;14m
水温;17.0度
水系:羅漢寺川 目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-202
【三折坂】
住所:目黒区下目黒4
水量:わずか
用途:親水施設
立地:目黒台
タイプ:崖線
湧出地点の標高;13m
水温;17.6度
水系:目黒川
東京都湧水台帳コード:Me-201
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工
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