2019年7月11日木曜日

二十九番:志村の湧水群(4)志村清水坂下、わさび田湧水の痕跡

 取り残された金魚池からさらに東に進むと、旧中山道が志村の崖線を下る「清水坂」に出る。下の写真の右側も、左側もあわせた一続きの坂だ。現在の中山道=国道17号線は、崖線を切り通しにして直線で下っているが、こちらは急な崖を緩やかに上り下りできるようW字に屈折して通っている。坂の途中には清水坂の石碑と説明版がある。中山道が日本橋を出て最初の難所と言われていたという。
 坂の名は今は国道17号線に面している大善寺の「清水薬師如来」に由来する。八代将軍吉宗が大善寺で鷹狩の帰りに坂の近くにある大善寺で休憩した際、境内の崖に湧くの水の美しさに、寺の本尊である薬師如来を清水薬師と命名したという。このことから近くを通る中山道の坂も清水坂と呼ばれるようになった。

 この清水坂を下りきる手前、都営三田線が地上に姿を現す地点のすぐそばに「志村清水坂緑地」がある。かつてはちょうど、坂を上り下りする人を相手にした茶屋があった場所だという。

 緑地の隅の壁泉からは水がぽたぽた落ちる。こちらが今も見られる湧水だ。水量が少ないため、水草が繁殖していてあまり見かけはきれいではない。裏手のアパートの敷地内に湧く水を導水してきているという。

 壁泉の前の小池には、サカマキガイらしき巻貝がたくさんいた。

 この壁泉、よく書籍やブログに清水坂の湧水として紹介されているが、当初、この公園の湧水のメインはここではなかった。三角形の敷地の奥まで入り込むと、井戸のような円筒形の構造物があり、前からは水が出るような構造になっていて、手前にはうっすらと幅広の浅い溝もみえる。ただ、水の気配は全くない。

 実は1989年の開園当初は、ここから水が流れ出て、ワサビ田を潤し、壁泉の前までせせらぎとなっていたのだった。開園直前、志村二丁目児童遊園と仮称されていた頃の計画図面をみてみよう。

 図面にパーゴラと記されている藤棚らしき構造物は今でも残っている。しかしその下のワサビ田は砂で埋められていて跡形もない。

 段差の下へと流れ落ちる注ぎ口は痕跡をとどめていたが、馬の水飲みとなっているところは植え込みに変えられていた。段差の下から壁泉へと続く水路も埋まっている。いつ頃ワサビ田がなくなり水が止まったのは定かではないが、井戸から壁泉までの水路は5年ほど前までは水の流れない状態で残っていた。

 井戸から流れ出ていた水は涸れてしまったのか、というとそうではなく、実際には今も湧き続けている。公園の北側、都営三田線の高架の反対側、写真の左下、柵の陰になっている、矩形のコンクリート蓋の雨水桝の中がその水源だ。

 蓋の隙間から、なみなみとした水が見える。以前はここに集めた湧水を右側に続いている高架脇の溝渠で公園側の貯水桝へと導き、そこからポンプアップして井戸から流れ出させていたのだという。現在は手前下側の、道路側溝の雨水桝へと落ちている。

 側溝の雨水桝の中を覗き込むと、きれいな水が管から音を立てて流れ落ちているのが見えた。

 こちらの湧水量は、多い時期で毎分20リットルに及ぶという。地下で湧き、そのまま地下に落ちてしまうのは実に勿体ない。ポンプは壊れてしまったのか、予算がないのか。わさび田復活は無理としてもせめて壁泉に導水するだけで、だいぶ景観がかわってくるように思うのだが。今の壁泉のままではちょっとがっかり湧水スポットだ。


住所:板橋区志村2
水量:壁泉:わずか 雨水桝:ふつう
用途:池
立地:成増台(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高;8m
水温;壁泉:20.5度(2019年6月) 雨水桝:不明
水系:出井川
東京都湧水台帳コード:Na-43
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

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