「王子七滝」は1910年(明治43年)に刊行された「東京名所図会」において、本郷台地の崖線の「稲荷の滝」(王子稲荷。前回記事参照)、「大工の滝」「見晴らしの滝」「名主の滝」、石神井川沿岸の「権現の滝」(王子神社下)「不動の滝」(正受院西側)「弁天の滝」(金剛寺そば)の7つの滝を選定してつけられたいわばキャッチフレーズが、その後独り歩きした呼称だ。一帯にはほかにもいくつかの「滝」があり、また北豊島郡誌では6滝、王子町誌では5滝のみがとりあげられるなど、かならずしも七滝という捉え方は人口に膾炙していたわけではなかったようだ。これらの滝は都市化やそれに伴う湧水の枯渇で徐々に姿を消していき、現存しているのは「名主の滝」だけだ。
王子稲荷からさらに北西に向かうと、本郷台地の崖線は名主の滝公園の敷地となる。北側の入口を入ると正面に落差8mの男滝(おだき)が見える。こちらがもともと名主の滝と呼ばれていたようだ。豪快に飛沫をあげているが、もちろんこの水量の湧水があるわけではなく、ポンプアップの水が10時から16時の間だけ流れている。他、敷地内にはほかに独鈷(どっこ)の滝、湧玉(ゆうぎょく)の滝、女滝(めだき)の計4つの滝があるが、現在は男滝と湧玉の滝のみに水が流されている。
名主の滝公園は、当初は嘉永年間に王子村名主の畑野孫八が自邸に開いた庭園だった。明治中頃には買い取られて行楽地となり整備されていった。その過程でポンプアップで滝の水量を増すといった手も加えられていった。1937年に庭園は精養軒の手に渡り、温泉や25mプール、弓道場、食堂や茶屋が設けられ、池にはボートが浮かべられた。当時の案内パンフレットを見ると「名主の滝遊園地」とある。敷地のあちこちには施設があり、滝はデフォルメされて大きく描かれている。名前も今とは違っていて、男滝は「名主の滝」、湧玉の滝は五香泉。その間には今はない瑠璃滝や徳川三代将軍御成滝など4つの滝が。女滝は熊野滝となっている。
出典:「王子名園名主の瀧遊園地案内図」精養軒(1940)
精養軒の施設は戦災で全焼、敷地は1960年にようやく再公開され、1975年に北区の公園となった。小学生の夏休み、自転車に乗って水遊びに来たことが何度もあったが、公園になってちょうど数年しか経っていなかった時期だったということだ。男滝から流れる川は近隣の子供たちで賑わっていた。出来たばかりで人気だったのだろう。膝小僧を擦りむきながら流れを腹ばいになって進んで行くと柵があって、そこから先は庭園の鑑賞池として入れなくなっていた。宿題の絵日記にも何度か描いた記憶がある。今では石神井川の旧流路に作られた音無親水公園に人気を奪われ、夏でもあまり人気がないようだ。
男滝からの流れを少し下って行くと湧玉の滝が見える。精養軒のパンフレットからは程遠い、小さな二段の滝だ。
先に記した通りこちらもポンプアップなのだが、その裏手の斜面の林をめぐる遊歩道に進むと、道沿いに滝につながる水路があって、わずかだが水が流れている。辿って行くと、石の間からちょろちょろと水が湧き出している。ごくわずかだが、かつて滝をなした湧水が今でもかすかに残っているのだ。
さらに崖線を登って行くと、独鈷の滝に出る。滝本体はからからに干からびている。しかしこちらも手前の地面が湿っている。
近づいて見ると、わずかに水が染み出しているようだ。この冬は雨が少なく都内各地で湧水の量が減っているのだが、ここもその影響があるとすれば、時期を選べばもう少しはっきりと水が湧いている様子がわかるのではないか。
そして少し離れた女滝。ここも現在はポンプアップを止めているはずだが、滝の石組みの中腹、滝壺、そしてコンクリートの河床の間からははっきりと水が流れ出している。水に触れ、温度を確認したいところだが、残念ながらこの滝は近寄れない。
「名主の滝」は比較的名が知れたスポットで、それだけに今は人工的に水を落としており湧水はとっくに枯渇してしまったと思われがちだが、こうしてよく見てみればかつての水脈がしぶとく生き残っている。100年前の人々を楽しませた豊かな水には程遠いけれども、でもこの場所に確かに天然の滝があったことを土地は覚えているのだ。子供の頃遊んだ水に少しだけでも湧水が混じっていたと知っただけで、ちょっと嬉しい。(その頃は涸れていたのかも知れないけれど)
この後さらに本郷台地の崖下を北上していこう。ほかの七滝の名残も少しはあるだろうか。
住所:北区岸町
水量:湧玉の滝裏手 わずか
独鈷の滝 滲み出る程度
女滝 まあまあ
用途:滝、せせらぎ
立地:本郷台地
タイプ:崖線
湧出地点の標高:10〜12m
水系:石神井川上郷用水
東京都湧水台帳コード:Ho-5
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