2019年9月5日木曜日

三十五番:拝島段丘の湧水(3)熊野神社脇の十二社弁財天湧水

 わさび田の湧水から100mほど北東には、中神町の鎮守社、熊野神社がある。次はこちらの湧水を見てみよう。奥多摩街道から、北に入るほぼまっすぐな道を進むと途中でわさび田湧水からの小川を越えて、そのまま熊野神社の参道となる。正面に見える鳥居の脇には樹齢400年と云われる大きな銀杏の木がそびえ、その背後には拝島段丘の崖線が緑の帯となって広がっている。

 熊野神社の創建は1360年と伝わる。4月の春祈祷の儀で奉納される獅子舞は、古来の形式を残すものとして東京都の無形民俗文化財に指定されている。
 社殿は拝島段丘の上にあり、10mの高低差を一気に上がる古い石段はかなり急で、通常は使えなくなっている。右手には緩やかな階段があって、そちらを回り込んで参拝するようになっている。

 この階段の脇に、崖線がやや奥にえぐれ2段の擁壁に囲われた一角があり、その下の段の擁壁から水が湧いている。



 湧水は擁壁にある太い土管から流れ出してコンクリートの桝に注いでいる。標高は87m。諏訪神社やわさび田の湧水とほぼ同じだ。20年ほど前の調査では1日230立方メートルとかなりの水量があったようだが、現在はかなり減っている。水温も8月で20.5度とやや高い。それでも夏~秋の湧水が多くなる時期にはそれなりに湧いているようだ。

 擁壁の上段の奥には、低木に囲われた古びた小さな祠が祀られている。

 近づいて中を覗くと十二社(じゅうにそう)弁財天、とある。熊野神社と十二社ときいて真っ先に思い出すのは西新宿の熊野神社と十二社池だ。何か関係があるのか、気になるところだが今のところ詳細は不明だ。いずれにしても水の湧くところだから弁財天が祀られているのだろう。弁財天のまわりの崖線の抉れは、現在は擁壁により直線的な崖になっているが、もとは湧水が削った「ハケ」だったのだろう。

 桝から流れ出した水は擁壁の下に沿って細い溝を東へと少し流れた後直角に曲がり南へと下っていく。この先は民家の敷地内で、わさび田の湧水からの小川に注いでいる。




 擁壁工事がされる前は、どのように水が湧いていたのだろうか。1960年代頃までは湧水を利用し、子供が泳げるくらいのプールがあったという話もあるが、わさび田のご主人の話では湧き水を溜めた大きめの洗い場だったともいう。いずれにしてもかなりの水量があって、それを溜めたそれなりの広さの水槽があったのだろう。
最後に映像で全体を。

わさび田の小川にはほかにも2か所ほど湧水が流れ込んでいる。写真の枚数が多くなったので次回に分けて掲載する。


住所:昭島市中神町1
水量:少ない
用途:なし
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:87m
水温:20.5度(2019/8)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-16

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

0 件のコメント:

コメントを投稿