2019年9月18日水曜日

三十七番:拝島段丘の湧水(5)阿弥陀寺の井戸水は川となって流れる

 ここまで訪ねてきた諏訪神社、わさび田、熊野神社十二社弁財天、福厳寺といった崖線下の各所からの湧水は、小川をかたちづくり最終的に宮沢堀と呼ばれる川になるが、そこに加わるもう一つの流れの源を訪ねてみよう。
 その場所は阿弥陀寺。拝島段丘の湧水シリーズ第1回で取り上げた諏訪神社と、道路を挟んだ向かい側、奥多摩街道と諏訪松中通りの交差する諏訪神社交差点の西側に位置している。室町時代前期創建の古いお寺で、宮澤山の号を持つ。

 本堂の左手から敷地の塀を越え、南側の奥多摩街道方面へと続く水路があり、澄んだ水が流れている。

 水の流れてくる方向を見ると、木々の隙間から庭園にある池が見える。水はそこから流れ出している。地図に記されるくらい大きい池だが、全体は見えない。

 この池の水源は境内の墓地にあり、過去の東京都の調査では、そこにはわさび田があると記されている。しかし最近の東京都の湧水リストなどでは消えている。果たして湧水はどうなっているのだろうか。庫裏を訪ねたところ、タイミングよく住職にお伺いすることができた。
 お話しによると、かつては裏手の崖下から豊富に水が湧いていたが、寺の西側の崖線を切り通して新奥多摩街道を通した際、地下の水脈を絶たれてしまったようで、水が涸れてしまったという。しかし池を維持するためには水が必要だ。都に補償を求めたものの、結局対応してもらえず、自費で井戸を掘り、現在はそこから汲み上げた地下水を流しているそうだ。数十メートルの深さから汲み上げた井戸水は水量豊富で涸れたことはなく、水質もよいという。

 許可を得て、墓地にある水源を見させていただいた。本堂の裏手の墓地に入ると、段丘の下に立派な石橋が架かっていて、その下には山間の渓流のような小川が設えてあって、澄んだ水がたっぷりと流れて池に注いでいた。奥に垣間見える池やその周りの庭園も美しい。

渓流となっているあたりに、かつてわさび田があったようだ。

 渓流の一番奥には弁財天の石像が立っていて、傍らの石積みから水が落ちている。奥の囲いの中に電動ポンプと井戸があるようだ。

 静かな墓地に涼しげに響く水音はもはや自然の湧水ではないが、それでも地下水ならではのひんやりとした空気が伝わってくる。実は昭島市の水道もすべて深井戸を掘り被圧地下水を汲み上げて利用している。地下の礫層の幅が広く、滞水量が多いらしい。また、礫が粗いので、汲み上げによる地盤沈下も起こりにくいそうだ。ただ、これが、浅い地下水にも徐々に影響を及ぼし、近年の湧水の減少や枯渇につながっているのではないかという指摘もあるようだ。

 さて、かつて自然の湧水だった時と同様に、池から溢れた水は小川となって外へと流れ出していくが、しばらくは暗渠となっている。交差点の角の三角形の残余地のような一角に、目立たない暗渠が通る。

交差点の向こう側には、道沿いにコンクリートの蓋暗渠がうねうねと曲がりながら続いている。

地上の様子は地味だが、柵の隙間から中を流れる水を見ると、きれいな砂の上を澄んだ水が流れている。

 途中からは暗渠を抜け、雑草の茂みや玉石の護岸に囲まれた水路となる。途中からは多摩川から分けられた昭和用水の分水からの水も少し流れ込んでいて水量を増している。左手に見えるお堂は1805年に建てられた恵日庵で、福厳寺の境外仏堂だ。明治後期には中神村の役場として使われていた。

 前回の記事最後の写真の場所。右側の流れが諏訪神社、わさび田、熊野神社十二社弁財天、近くの民家、そして福厳寺崖下からの湧水を合わせた流れとなる。左側がここまで追ってきた阿弥陀寺からの流れだ。

 合流後は幅広の、川らしい姿となる。ここから先が中沢堀。昭和用水の水路網と絡み合いつつ、残堀川を経由して多摩川へと流れていく。

住所:昭島市宮沢町2
水量:多い(汲み上げ)
用途:池、水路
立地:拝島段丘(東京都の立地区分による)
タイプ:崖線
湧出地点の標高:86m
水温:ー
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-13(現在は除外)



地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

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