2020年7月31日金曜日

番外編:東京弁財天・厳島神社・水神社マップ

 更新が滞っておりますが、ここで番外編として湧水に関連の深い、「弁財天」の所在地をプロットした地図を公開します。
 水のない場所に弁財天や厳島神社(市杵島神社)の祠がある場合、そこはかつての湧水池があった場所を示していることが多く、暗渠や川跡を探す際の目印にもなります(ただし、別の神社の境内に移転されている場合もあり、来歴には注意が必要です)。
 一通り知っているものを掲載しましたが、まだ抜け漏れがありそうです。もしここにもあるよ、といった情報があればお寄せください(七福神像が並んでいる中での弁財天像といったようなものは除く)。
また、そのうち水神社や、水垢離場などに設けられた不動尊、水源に祀られた他の祭神の祠なども、あわせてプロットしていきたいです。

※水神社についても追加を始めました。青が水神社、赤が弁天社となります。


2020年3月4日水曜日

四十二番:石神井川の蛇行跡に湧く水(音無こぶし緑地)

 板橋区から北区へと入る前後の区間の石神井川は、かつては細かい蛇行が連なっていた。下図は大正15年の1万分の地形図。くねくねと曲がる流路が確認できる。1960年代から70年代にかけ、洪水対策でこれらはショートカットで直線化され、川も掘り下げられた。

 現在、石神井川が埼京線の線路を潜り北区に入ると、川の両岸に入れ替わり立ち代わり、音無くぬぎ緑地、音無こぶし緑地、音無けやき緑地、音無もみじ緑地、音無さくら緑地と、蛇行の跡地を利用した小緑地が続いている。その中のひとつ、こぶし緑地を訪れてみた(上地図矢印箇所)

 川の両岸にあるくぬぎ緑地とこぶし緑地を結ぶ橋から石神井川を見下ろしてみる。川面までは相当の深さがあり、絶壁のように護岸がそそり立つ。改修により掘り下げられた分もあるが、地形図や古写真をみると、それ以前からもこの付近は水流で深く浸食され、渓谷のようになっていたようだ。この絶壁の左側にこぶし緑地がある。

 こぶし緑地は蛇行の跡を平らに均して、ちょっとしたベンチなどがある以外は何もない小さな広場になっており、南側を向いていて、日当たりはよい。近所の子供がキャッチボールをしたり、犬の散歩をしたり、ちょっと一息ついているような空間になっている。流路跡の三方を囲む崖の斜面には集合住宅が数軒。その中のひとつは4階建ての4階が出入り口になっている。緑地の標高は14mほどだが、台地の上は24mと、標高差が10mほどあるためだ。

 崖の下に沿って、S字に曲がる石組みのせせらぎがつくられている。こちらは親水施設で、木陰には循環水を流す機器が見える。このときは冬場のためか水は止められていた。しかし、どこからかこぽこぽと水音がする。

 人工のせせらぎに近づくと、その裏側、せせらぎの周囲に配された大きな石に隠されるように、青いバケツが置かれていた。

 バケツには、擁壁の下にコンクリートで固定されたパイプから水が注いでいる。

 水温を測ると17.6度。この日の気温は11,2度ほどだったから、温く感じられるくらいだ。バケツから溢れた水は、親水施設の外側に沿って土の上を流れていく。

動画でも見てみよう。水音が聞こえるだろうか。

 水の湧く崖の北側には北区中央公園や自衛隊の敷地など、まとまった未舗装の土地が広がっている。そのあたりで地面に染み込んだ雨水が涵養源になっているのだろう。近くを通りかかったお年寄りが、水、湧いてるだろ、前よりはだいぶ減ったけどな。と声を掛けていった。岩陰に潜んだ湧水だけど、知っている人は知っているのだろう。そういえばバケツも公園の管理で置かれたようには見えない。近所の誰かが置いたものに違いない。夏になったら子供たちが水遊びに使ったりもするのだろうか。

 崖下では他の場所からも、水が滲み出していた。かつてはこれらの水は直接石神井川の流れに加わっていたのだろう。

川の流路は変わったけれど、その跡に取り残されたように今も湧く水。ちょっと健気な感じもする。

住所:北区滝野川4
水量:少ない
用途:なし
タイプ:崖線
湧出地点の標高:14m
水温:17.2度(2月)
水系:石神井川
東京都湧水台帳コード:Ho-08
地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2020年1月28日火曜日

四十一番:次郎稲荷の湧水ー小石川植物園の崖線

 木々に囲まれた崖線の下の池。その向こう側の斜面の麓に鳥居が見える。冬なのに緑が鮮やかだ。どこか郊外の山里の風景にも見えるが、ここは文京区だ。

 鳥居の先には「次郎稲荷」が鎮座している。かといって神社の境内というわけではない。ここは小石川植物園。正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園といい、明治10年開園の日本で最も古い植物園だ。前身は江戸幕府の小石川御薬園に遡る。そんな歴史があるためか、敷地には稲荷社が2つある。そのうちの一つが次郎稲荷だ。
 鳥居の近くまでくると、鳥居の前の地面が抉れて溝となっていて、そこから水が湧き出している。

 何とか溝に降りて水面に近づき水温を測ってみると16度。この日の気温は10度を切っていたが、指で触れると温く感じるくらいだ。地上に出てすぐのまだ気温の影響を受けていない、湧きたての水なのだろう。

 水量は少ないものの、水は確実に湧き出しており、傾斜が緩いせいなのかとてもゆっくりとした流れを生み出している。水面の動きはどこか生きもののようだ。映像で見てみよう。

 鳥居の先、湧水の溝の延長線上にも、人の背丈よりやや高く、そしてすれ違えないくらいの狭い溝が白山の台地の崖線に切り込んでいる。鳥居を潜り、忍び込むように隙間に入っていく。

 つきあたりは数mの急斜面になっていて、その下に小さな祠がある。ステンレス製で比較的新しい。祠の脇の地面近くにはぽっかりと穴が開いている。いわゆる「狐のお穴」だろう。溝が曲がっているため、お穴の前に立つと周囲の見通しがなくなり、ただ空の方だけが開けている。隠れ家のような、何かに護られているような、不思議な空間だ。

 祠に至る溝の両側には石が雑然と積み上げられていて、その上には石碑や古びた狐の石像が何体も無造作に据えられている。狐はあちこちが欠けていて、歳月やかつての信仰を偲ばせる。そして鳥居の向こうには湧水の注ぐ池が見える。鳥が呼び合う声と風が木々を揺らす音が聞こえる。

 小石川植物園の敷地は本郷台の一角である白山の台地と谷端川(小石川)の谷に跨っている。北西から南東に細長く続く敷地の向きに沿ってちょうど真ん中あたりを崖線が横切っている。台地の上は標高25m前後、一方谷は10m前後と、かなりの高低差があって、その斜面はすべて木々に覆われているため山の中のような景観になっている。その崖線の下に、ローム層を浸透した水が湧き出している。
 植物園の中の低地はいくつか池が連なっている。西端の池は庭園風に整備されているが、他の池は自然のまま。湿地のようになっているところもある。これらの池には特に給水はしておらず、すべて湧水や雨水だという。
 過去の調査結果では、台地上の植物園敷地で浸み込んだ水だけではなく、植物園の北西側のやや離れた場所で地面に浸み込んだ水も湧き出しているという。六義園あたりだろうか。

 植物園の中には次郎稲荷の袂のほか、はっきり確認できるところであと3か所ほど湧水がみられる(下の地図の星印)。これら以外の場所でもじわじわと染み出し、池の水となっているのだろう。

 これらの湧水はなぜか東京都の湧水台帳には掲載されておらず、あまり紹介されることもない。大学付属の植物園のためか余り混むこともないから、身近に自然に近い湧水を見たい時にはもってこいのスポットかもしれない。

住所:文京区白山3
水量:少ない
用途:池
タイプ:崖線
湧出地点の標高:12m
水温:15.9度(1月)
水系:谷端川
東京都湧水台帳コード:なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年11月21日木曜日

四十番:2年ぶりに出現した「幻の湧水池」小平霊園・さいかち窪

 西武新宿線小平駅の北口の階段を下りるとすぐに、小平霊園へと続く並木道が始まる。墓石屋の並ぶ静かで広い道を数分進むと、霊園の正面入り口だ。小平霊園は1948年に武蔵野の雑木林を切り開いて開園した、小平・東久留米・東村山の3市にまたがる霊園だ。開けた空の下ゆったりとした区画の奥に進んでいくと、こんもりとした森が見えてくる。

森は馬蹄形に広がっていて、コナラやクヌギといった雑木林が高く伸びているので一見、丘のように見えるが、森の中に入って行くと周囲より2〜3mほど低くなっていることがわかる。この窪地が「さいかち窪」だ。かつてあったサイカチの大木に由来すると言われているが、一方、カブトムシが多かったことからその別名サイカチムシを由来としてこの名がついたという説もある。
 さいかち窪は東久留米市から朝霞市にかけて流れる黒目川の源頭部となっている。このためか、窪地の大部分は東久留米市内になっている。ただ、ふだんは水の気配のない草むらがあるだけで、川の流れは新青梅街道を越えもう少し北へ下ったあたりから始まっている。 しかし、数年に1度、しかも秋の1~2か月だけ、この窪地に湧水が出現することがある。90年代以降でみると、1991年、98年、2004年、08年、15年と4〜7年ごとに出現したが、その後16年、17年と連続して出水しており、今年2019年も、関東~東北各地に大きな爪痕を残した台風19号が去った10月13日に2年ぶりに水が湧き出した。
 南側から森に入っていくとすぐの場所に、雑草に囲まれ深く掘り下げられたた小さな窪地があって、普段はない水が溜まっている。道路側の崖には土管が口を開けていて、そこからも水が勢いよく流れ出している。これについては後ほど記そう。

 窪地から溢れた水はせせらぎとなって流れ出す。森の中を低いほうへ水が勢いよく流れていく。出水から2週間後、再び台風(21号)が通過した後の10月26日にはさらに水量が増していた。

流れはさいかち窪の一番低くなっているあたりに流れ込んでいく。

窪地の底に流れ着いた水は、ほぼ南北に細長く溜まって池となる。鬱蒼とした木々に囲まれ、静かな水面が広がっている。

 ふだんは雑木林に囲まれた雑草の生える空き地に過ぎない場所が、水が出た時だけは高原の湿地のような幻想的な光景となる。下の写真は2017年12月、湧水が止まり再び干上がった、いわば平時のさいかち窪の様子だ。ひと月ほど経つと池は綺麗さっぱり幻のように消えてしまい、このような元の草むらに戻ってしまう。幻の池といわれる所以だ。

細長く、また木々が邪魔をしてなかなか全体を一度には見渡せないので、動画でもとらえてみた。

 流れ込む水だけではなく、池の底からもあちこちから水が湧き出している。ぷくぷくと音を立てて気泡と共に湧き上がる水が水面に同心円をいくつも描く。

こちらも動画でも見てみよう。次々に水が湧きあがってくる様子がわかるだろうか。

 細長い窪地にいったん池となって溜まった水は、その北端から清冽な小川となって再び流れ出す。さいかち窪の水が現れたとき、ここが黒目川の始まりとなる。

 上の写真は10月13日の出水直後の様子で、過去の出水でもこのように小川のようになっていた。しかし2つ目の台風が過ぎた10月26日にはここまで水没し、池のようになってしまっていた。下の写真、倒れた木が上の写真と同じ場所であることを示しているが、風景が一変している。

 さいかち窪の林から抜け出た流れは、小平霊園の北縁に沿って走る新青梅街道を潜り抜けるため、いったん暗渠の中へと吸い込まれる。新青梅街道の北側から正式な黒目川の流路が始まる。

 この区間も26日には完全に水没し、池のようになっていた。流れを渡る小さな石橋があるのだが、こちらも10㎝ほど水没し、橋の上を水がさらさらと流れていた。

 さいかち窪の全体像を小平霊園の園内案内図で見てみよう。さいかち窪の区域の西寄りに、プラナリアのような形をした、南北に伸びた細長い池が描かれている。南側、尻尾にあたる部分から暗渠へと流れ出している。北側、頭にあたる部分には、南東からの細長い枝状の水路が注いでいる。こちらが最初の方の写真の窪地と流れである。

 さいかち窪にはある時期より、窪地に湧く水の他、小平霊園内の雨水を集める排水管が注ぐようになっている。さいかち窪の出水時は小平霊園内の他の区域で湧き出した水が排水管の継ぎ目やヒビから流れ込み、窪地の底の湧水に加わる。
 当初は小平霊園内の雨水排水経路の1つが繋がれており、降雨の際には敷地の面積の4分の1の雨水や地下水が流入していたが、2005年以降、湧水の復活を視野に、小平霊園の約4分の3へと拡大、更に敷地内の道路舗装を浸透性に切替え、浸透桝も多数設置したという。当初からの排水経路と思われる案内図の枝状の水路(下図の流入地点1)の他に、池の南端、プラナリアの頭のとがっているところにも土管が2つ並んで口を開けているのだが、こちらがおそらく拡大後に追加された雨水排水だろうや(下図の流入地点2)。

 さて、さいかち窪の出水はどのようにして起こるのだろうか。2003年にさいかち窪傍に水位観測井戸(標高66.7m)が設置され、地下水の変動が観測できるようになってからだいぶその様子がわかってきたようだ。「大雨により復活した台地の湧水・地下水についての水文学的考察」(国分邦紀 2005)によると、さいかち窪付近にはローム層の堆積がなく、霊園造成時の盛り土の下には2mほどの黒ボク土層と、1.3mほどの礫混じりの粘土層があり、さらにその下に8mほどの厚さの武蔵野礫層があるという。この武蔵野礫層が帯水しており、その水が飽和すると一時的に被圧状態となって、粘土層を抜け黒ボク土上部に水が湧き出すという。
 この飽和状態は比較的短い期間での累積降水量が一定量を越えた場合に起こるようで、実際には夏から秋にかけての台風や秋雨による大雨がきっかけとなって一気に飽和状態に達するようだ。
 公開されている水位観測井戸(標高66.7m)のデータをグラフ化してみた。出水し、かつその期間がほぼわかっている2008、15、16、17年のデータをみると、いずれも地下水位が-2.6m(標高64.1m=ほぼさいかち窪の標高)に達するタイミングと出水時期が一致しており、まただいたい地下水位が-3.1mを切ったころに出水が止まっていることがわかる。


 また、近くの府中の降水量データを使って、降水量と地下水位、そして出水の関係を探ってみたところ、どうやら120日間の累計降水量が950mmを越えたタイミングで地下水位が-2.6mを越え、出水しているようだ。2018年以降の水位観測データはまだ公表されていないが、出水のなかった2018年は累計降水量が950mmに全然達していないこと、今年の出水タイミングがまさに累計降水量が950mmに達した日であることがわかる。(折れ線グラフが地下水位、塗りつぶしが累計降水量)

さらに地下水位観測データの公開されている2006年以降まで遡ってみても、この関係性が見て取れる。(折れ線グラフが地下水位、塗りつぶしが累計降水量)

 1948年の小平霊園の造成前、黒目川の流れはさいかち窪よりもう少し南西まで伸びており、そこでは常時水が湧いていたという。造成直前の航空写真を見ると、確かに水路らしきラインが見える。ただ、当時の地形図を見ても谷は浅く、それほどの水量はなかったのではないか。この水路と湧水は霊園を造成した際に埋め立てられてなくなってしまい、さいかち窪以北が残ったようだ。
 そして地形を見ると、埋立てられてもなお浅い谷が西武線の南側へと続いていることが見て取れる。かつてはこの谷筋に、青梅街道沿いの雨水や街道の南北に沿って流れる小川用水の余水を落とす悪水堀が通っており、現在も途中まで暗渠が残っている。そして更にそこから向きを変えて青梅街道の北側に並行して、東大和市との境界付近までごく浅い窪地が続いている。これらは「小川の窪」「ぐみ窪」と呼ばれている。こちらには戦後に排水路として「緑川」が開削されている。(詳細は以前記したこちらの記事を参照していただきたい)


 このような窪地は他にもいくつかあって、かつては、大雨の後しばらくして「野水」が出てきた。さいかち窪の原理と同じく、地下の滞水量を上回った水が地表の窪地に出現し、低い方へと流れていたのだ。これらは「武蔵野の逃げ水」として知られていた。さいかち窪に湧く水は、この「逃げ水」の様子を今に残しているといえよう。そして湧水のメカニズムを考えると、さいかち窪は、南側の”さらに上流”があった頃も、今と同様「野水」的な水が湧く場所だったのではないだろうか。
 今回の出水は前後の降水量などを考えるとおそらく11月末までは湧き続けるだろう。次に水が出るのは来年なのか、はたまた数年間が空くのか。毎年秋が来るたびに気になる湧水だ。


住所:東久留米市柳窪
水量:平時は無し。出水時は多い
用途:なし
タイプ:谷頭
湧出地点の標高:64m
水温:19.0度
水系:黒目川
東京都湧水台帳コード:Mu-138



2019年10月23日水曜日

三十九番:昭島「井戸出の清水跡」湧水の幻のような復活

 青梅線の東中神駅から、線路を横切る福島通りを南へと下っていくと、やがて道は拝島段丘を下る坂道に差し掛かる。駅付近の標高97mから緩やかに標高88mまで下ってきた道はここで一気に80mまで下るが、その手前に伏見稲荷の古い祠があって、その敷地を挟むように段丘の崖線の縁を縫うように進む道がY字路で分かれる。こちらの道へと入って暫く進むと、目の前の崖線の斜面に立派な森が見えてくる。

 崖の上には日露戦争で戦没した村人の立派な顕彰碑が立っている。そこから下を見下ろすと、直下には祠の屋根が。そして坂を下る路地とその脇の礫が露出した斜面が見える。どうやら探し求めていた幻の湧水跡はここにあったようだ。

 崖の下に降り、先ほど見下ろした方に向けば、そこには小さな祠と多摩川の丸石を積み上げた擁壁が。祠は猿田彦を祀っているようだ。そして石積みの下から、かつて「井戸出の清水」と呼ばれる泉が湧いていた。
 その水量は水車の動力となるほど豊富だったといい、周囲の人々の生活用水として利用され、低地に下ると中沢堀と呼ばれる拝島段丘下の湧水を集めて流れる川の分流へと合流して水田を潤していた。だが湧水はもう何十年も前に涸れてしまい、今では雨の多い年の夏に稀に湧き出す程度だという。だが湧水はもう何十年も前に涸れてしまい、今では雨の多い年の夏に稀に湧き出す程度だという。

 昭島市内にはこれまで取り上げてきたような知られた湧水がいくつか残っているが、この場所は今は涸れていることや崖と住宅、森に囲まれた目につきにくい場所にあるため、地元の人以外には全く知られていないといってよい。資料からこの付近に湧水があるらしいと知り今まで何度か探索していたが、今年の8月、ようやくその場所を見つけることができた。
 見ての通りやはり水は涸れていて、コンクリートで隙間を固められた玉石の下の土は乾ききっていた。もう湧くことは滅多にないのだろう、そう思わせる、全く水の気配が感じられない風景となっていた。市の設置した小さな説明板でも「井戸出の清水「跡」」とすでに失われた湧水であることが示唆されていた。せっかく見つけたが、これでは記事にしても仕方ないかもしれない、そう思い、他の湧水へと足を向けた。


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 しかしこの10月、台風19号が大量の雨を関東地方にもたらしたのち、さいかち窪や前回の記事で取り上げた狛江の揚辻稲荷など、各地で涸れていた湧水が復活した。もしや、と思い再びこの場所を訪れてみると・・・・石積みの擁壁の下から、水が湧き出しているではないか。

 湧水地点を囲む金網を越えた水は、小川となって流れ出す。

 坂道の路地に沿って、水は勢いよく流れ落ちていく。水路の礫が流れに渓谷のような風情と迫力を付け足している。山の中の小さな沢のようだ。かつての多摩川が残していった地層から露出したものだろうか。

 下方から眺めると、かなり傾斜があることがよく分かる。

 こちらは8月、水の流れていなかった時の同じ場所。こちらの写真で見ると道端のただの砂利にも見えるが、実際に水が流れていると自然と河川由来の礫に見えてくるから不思議だ。

 下流側から泉に向かって撮影した動画。

 さて、流れ落ちてきた水はしばらく下ると路地から逸れて、崖線下の森の方へと流れていくのだが、なんとこれだけの量がありながら水はそこで地中に吸い込まれてしまっていた。

 吸い込まれている付近を路地から見下ろしてみる。特に下水道のようなものがあるわけではなく、音もなく水はすうっと消える。この先にも茂みの中に水路の溝が続いているのだが、全くそちらに水は流れていかない。これはどういうことなのか。非常に透水性が高い礫層が露出しているのだろうか。幻のように現れ、そしてあまり人の目に触れることなくすぐに幻のように消える水。なんとも不思議だ。

 川下に続く細いけれど立派な水路にも全く水が流れた痕跡がない。かつてはこちらまで流れていたということは、礫層の上を泥などで固めて水が染み込まれてしまわないようにしていたのだろうか。

 最後に中沢堀の支流に合流する地点。この付近は素掘りの水路となっているが、やはり土は乾いていて水が来た様子はなかった。あれだけ水が湧いているのになんとも勿体ない。

 水が姿を見せているのは崖下の路地の一角だけだから、すぐ近くに住んでいる人以外にはこの復活は全く気が付かれることはないだろう。そしてしばらくすれば水は途絶えてまたもとの「清水跡」に戻ってしまうのだろう。最初は記事にする気のなかった井戸出の清水だが、この一瞬現れた幻を記録すべく、ここに記事として残しておくことにした。



住所:昭島市福島町2
水量:平時は枯渇 2019年10月:ふつう
用途:かつては灌漑用水
立地:拝島段丘
タイプ:崖線
湧出地点の標高:86m
水温:21.1度(2019/10)
水系:中沢堀〜昭和用水〜残堀川
東京都湧水台帳コード:Ha-33(現在は除籍)

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工

2019年10月20日日曜日

三十八番:数十年ぶりの復活か。狛江揚辻稲荷の湧水池跡

 しばらく間があいてしまった。拝島段丘の湧水を引き続き記して行く予定で何本か記事の準備をしていたのだが、忙しさに追われるうちに秋の湧水シーズンとなってしまった。10月12日に上陸した台風19号は各地で甚大な災害をもたらしたが、一方で台風の雨をトリガーに都内各地で湧水量が増えている。そんな中で、おそらく数十年は湧いていなかった湧水池が復活していたので、いったん拝島段丘から離れ、いくつか速報的に記事を記そう。

 小田急線狛江駅南口から徒歩で数分、静かな住宅地に囲まれて、揚辻稲荷神社がひっそりと鎮座している。もとは一帯に古くから住む谷田部一族の祀った稲荷社だが、近隣からも信仰されている。

 鳥居の正面に立つと、奥に小さな木造の社殿が見える。その裏側は周囲よりも1mほど低く窪んでいて、その底にかつて湧水池があった。

 1960年代までは豊富な水量を誇り、岩戸用水に注ぎ込んで水田の灌漑に利用されていた。(詳しくはもう一つのブログの記事狛江暗渠ラビリンス(1)揚辻(谷田部)稲荷の湧水池跡とそこから流れ出す川跡」https://tokyoriver.exblog.jp/18149330/をぜひご参照いただきたい)。しかし70年代初め頃には湧水は完全に枯渇、以後水が湧くことはなく、東京都の湧水台帳にも当初より記載されていない。
 かつては毎分9000リットルもの湧水量を誇った狛江駅北口駅前の弁財天池も1972年に枯渇し、現在は地下水の汲み上げで水面を維持しているが、こちらは池のあった窪みとそこを囲む石垣が残るのみだ。
夏場には窪みは雑草で埋め尽くされる。

一方冬には雑草は枯れ果て、乾いた窪地の底に落ち葉が積もる。

さて、台風が過ぎ去って1週間、数ヶ月ぶりに池を訪れると、まさかの水が溜まっているではないか。

雑草が水浸しになり、沈んだ草には土が被っている。明らかに水は溜まって間もない。しかし水は澄み切っていて、周囲の雨水が流れ込んだだけではなさそうだ。

目を凝らして水面の隅々を確認すると、池の底から水が湧き上がる地点があった。

 写真だとわかりにくいので映像で見てみよう。細かい土を巻き上げながら水が湧いているのがわかるだろうか。水温を計ると19.1度。世田谷の国分寺崖線あたりの湧水とほぼ同じだ。この池は周囲の石垣から水が湧いていたものだとばかり思っていたが、かつてもこのように池の底から水が湧いていたのだろう。いわゆる「釜」だったに違いない。

 もう1箇所、池の西端の石垣下からも湧水が確認できた。こちらは石垣も少し湿っていて、ちょろちょろとかすかな音も聞こえる。遠目にみると雑草に隠れているが、近づくと水面がしっかりとあることがわかる。

こちらも映像で確認してみよう。

 池の水深はおそらく15cm程度だろうか。かつての湧水量に比べれば及ぶべくもないだろうけど、普段は完全に干上がっていて、湿気も全くない池の底から水が湧いているのは感動的だ。池の先に続いていた水路は今では暗渠となっていて、ちょうど池の出口のところにマンホールがある。池からあふれ出した水がマンホールに落ちる水音が、静かな境内に響く。はっきり見える湧水地点は2箇所だけだったが、草の隙間から見える、暗渠に流れ落ちる水の量をみると案外水量があり、じわじわと池全体から湧き出しているようだ。
 あと少しすれば水は涸れて、池は再び干上がってしまうのだろう。もしかするとこれまでも、人知れず湧水が復活し、そして気がつかれることのない間に姿を消していたことが何度かあったのだろうか。ほんのひととき現れた、50年前の風景の前にしばし佇んだ。



住所:狛江市東和泉1
水量:1960年代に枯渇
用途:かつては灌漑用水
立地:府中崖線
タイプ:崖線
湧出地点の標高:20m
水温:19.1度(2019/10)
水系:岩戸川
東京都湧水台帳コード:記載なし

地図出典:カシミール3Dで基盤地図情報EDMデータ及び地理院地図を表示したものを加工